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ミャンマー旅行❺

2020.02.25/火

ANA  NH814便  起床

0400には  CA  女性に  起こされる

朝食は  和食に  した

少し  残した

日本時間の  0645  成田国際空港に  予定どおり  到着

入国検査も  自動  待たされることなく  終わり  機内に  預けた  荷物も  すぐに  出てきた

Sさんと  別れて  イモトの  Wi-Fi器具を  空港内の  店に  返却

Wi-Fi器具  ほとんど  役に  立たなかった

空港から  外に  出て  すぐ前の  駐車場へ

やはり  寒い

ズボン下は  履いていない

しかも  夏用の  薄い  ズボンだけ

上着は  夏の  ジャケットの  まま

S兄弟の  車に  乗り込み  上だけ  セーターを  着る

エアコンも  効いてきて  寒さは  少し 和らぐ

神楽坂に  いったん  戻ろうと  思ったが  荷物も  重い

東京駅に  送ってもらうことに  した

わりと  早めに  東京駅に  着く

丸ノ内側から  新幹線ホームへ

0913の「のぞみ」で  名古屋へ

これで  昨年の  秋から  予定していた  ミャンマー旅行も  無事に  終わり

大きな  問題や  トラブルも  なく  旅行できた

72歳という  年齢を  考えると  旅慣れない  自分に  とっては  まず  無事に  行って帰ることが  いちばん  大事

旅行も  それなりに  楽しめた

大満足の  時間だったと  言えよう


author:Tetsuo Kobayashi, category:紀行, 22:00
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ミャンマー旅行❹

2020.02.24/月

MELIA HOTEL YANGON  起床

きょうは  ヤンゴン  最後の日

窓からの  インヤー湖の  眺めも  見納め

時間が  少しあり  シャワー

0830  きのうと  同じ  2階の  広い  レストランで  3人と  朝食

同じ  テーブル  同じ  

並べられている  料理や  食べ物も  変わらない

きょうも  洋食系の  軽めの  朝食に  した

1000  スーツケースを  部屋の  ドアの  前に  出そうと  したら  ホテルの  ボーイさんが  いて  すぐに  持っていってくれた

大きな  ホテルでは  スーツケースや  トランクは  部屋の  ドアの  前に  置いておけば  ロビーまで  運んで  くれるようだ

初めての  経験

1010ごろ  手提げ鞄  ハンドバッグを  持って  ロビーへ

やはり  ガイドの  アウンさん  すぐに  近寄ってきて  チェックアウト  済ませてください  と話す

正面の  カウンターに  行き  部屋の  キーカードを  渡す

冷蔵庫などは  まったく  利用していない

OK  返事を  もらい  ロビーに  戻る

まだ  時間が  あったので  ロビーの  外に  出て  ホテルの  玄関や  建物  周りの  景色を  撮る

1030には  全員  揃い  出発

MELIA HOTELには  もう  戻らない

きょうは  ヤンゴン市内の  見学

最初に  訪れた  ところは  アウンサンスーチー邸

長い間  軟禁されていた  有名な  場所だ

意外と  道路沿いの  街の  中に  あった

訪問  といっても  玄関前で  1〜2分  バスを  降りて  写真撮影だけ

門は  閉まっていた

横に  2〜3人  軍服を  着た  警備員が  ぶらぶらしていた

我々の  あと  欧米人の  観光客も  来て  門を  見学していた

アウンサンスーチーさんは  いまは  ミャンマーの  首都に  なっている  ネピドー(ネーピードー)という  ところに  滞在している  とのこと

ネピドーは  2006年に  軍事政権が  旧首都  ヤンゴンの  代わりに  作った  新しい  首都

ミャンマーの  政治は  ここで  行われている  ようだ

アウンサンスーチー邸のあとは  僧院学校(寺子屋)見学

ヤンゴン市内を  少し  離れた  街中に  あった

親元を  離れて  学ぶ  子どもたち  身寄りの  ない  孤児たち  公立学校に  行けない  貧しい  子どもたち  内戦から  逃れてきた  子どもたちの  生活  勉強  すべての  面倒を  見ている

学校は  有名な  お坊さんや  力のある  僧侶に  よって  設立され  お布施や  寄進などの  浄財  ボランティア団体に  よって  運営されている

バスは  貧しそうな  家々が  並ぶ  道路に  留まる

バスから  降り  アウンさんの  後を  着いていく

小さな  路地に  入る

すぐに  道路に  沿って  幅が  3〜4メートルの  小川が  ある

小川というより  水路

水は  ほとんど 流れていない

汚い  ゴミが  いっぱい

路地の  左右に  掘っ立て小屋の  ような  民家が  並ぶ

路地から  部屋の  中が  見える

決して  快適とは  いえない  狭く  暗い

2〜3分  歩くと  コンクリートの  3〜4階建ての  建物が  見えてきた

ここが  僧院学校らしい

入る前から  子どもたちが  アウンさんに  何やら  声を  かけて  抱きついてくる

アウンさんに  とっては  馴染みの  場所らしい

観光客を  いつも  連れてくる  ようだ

講堂に  入る

100人近い  子どもたちが  整然と  座っている

ほとんどの  子どもが  袈裟を  まとっている

一斉に  大きな  声で  合唱する

意味は  わからない

どうも  歓迎の  挨拶らしい

バスが  着いたときから  アウンさんと  一緒に  やってきた  女性2人から  風車の  オモチャが  たくさん  入った  袋を  渡される

子どもたちに  1個ずつ  渡すように  指示される

パンフレットに  あった「おやつの寄付を手渡していただきます」とは  このことか

理解するのが  遅すぎる

全員に  渡ったところで  再び  子どもたちの  合唱

合唱と  いっても  歌うわけではない

お経の  ように  一斉に  昌和するのだ

感謝の  言葉の  ようだ

そのあと  写真を  撮ってもらう

あとで  わかったことだが  アウンさんと  一緒に  やってきた  女性2人は  今回の  現地の  旅行会社の  人で  アウンさんと  同僚の  ようだ

この  僧院学校の  前で  待ち合わせ  我々の ために  事前に  子どもたちへの  お布施の  オモチャを  用意してくれていたのだ

私は  はじめ  学校の  先生かと  勘違いしていた

僧院学校の  子どもたちは  明るくて  元気だ

昌和するときも  誰一人として  怠けている  子は  いない

この  僧院学校の  名前は  わからない

ミャンマーは  もちろん  ここ  ヤンゴンだけでも  僧院学校は  たくさん  あるようだ

ネットで  調べてみると  ヤンゴンでは「クーラーマ・マーラ僧院学校」が  載っていた

ーーーー

一つの教室に50人以上の子どもたちがひしめき、大きな声で教科書を読み上げる声が響き渡る。

ここはミャンマー・ヤンゴン市内のクーラーマ・マーラ僧院学校だ。

一見通常の公立小学校と変わらない光景だが、ここには民族・宗教の壁を超えて孤児や貧困層の約400人の子どもたちが集まっている。

シャン州の内戦に伴う国内避難民の子ども、ラカイン族、ムスリムと多様だ。

「仏の道に従って、困っている人たちに手を差し伸べる。

ただそれだけです。

それが異民族・異教徒であることは関係ない」。

そう語るのはクーマーラ・ラーマ氏。

この学校を創立した僧侶だ。2000年に僧院を立ち上げ、集まった浄財を活用して、2009年に身寄りのない子ども9人を預かり、孤児院兼学校であるこの施設を開校した。

現在はボランティアを含む10人の教員、経営に携わる弟子の僧侶たち、多くの寄付者に支えられ、400人規模の生徒を迎えている。

そのうちおよそ250人は孤児、残りが貧困のため公立学校に通えない子どもたちだ。

それぞれに困難を抱えて親らに連れられてやってきた。

最近では内戦状態のシャン州から逃れてきた子どもが全体の約8割に達すると言う。

中には、シャン語が母語であるため、ビルマ語の授業についていくのに苦労する生徒もいる。

現場の教員は教科を教えるだけでなく、それぞれの事情で心に傷を負って入校してくる子どもたち一人ひとりに目を配り、不安を取り除くことも重要な役割だ。

2年生の英語と算数担当の教員イエン・ティン・ルゥインさん(19)は「科目は公立学校と同じですが、進め方は私たち教員で子どもたちの理解度を見ながら独自の方法をとっています」と説明する。

子どもたちは時折不安げな表情を見せることもあり、「みんな純粋で可愛い反面、見ていて心が痛みます。

必要としているのは何よりも私たちの愛情です」と話す。

ミャンマーでは公立学校は「一定以上のお金がある家庭の子どもが行くところ」といわれる。

放課後に教員が開く補修クラスに参加するのがほぼ必須の慣例となっている。

一般的には1レッスン1000円程度、1科目週に1回程度で、これを生徒4〜5人の家庭で分担する。

それが払えないことは授業についていけなくなることを意味し、学校を続けられない子どもも多い。

内戦や貧困など、社会的・経済的問題に翻弄され、教育機会を失う子どもが後を絶たない。

ミャンマーでは公教育が必ずしもすべての子どもたちを受け入れる場になりえていない。

そんな中、僧院学校はミャンマー社会にとって、困難な状況にある子どもたちにも教育を提供できる最後の砦のような存在になっている。

ーーーー

僧院学校の  あとは  ミャンマー民芸品店へ

土産は  アウンさんの  勧めで  アウンさんの  会社から  コーヒーと  石鹸の  入った  手編みの  小袋を  買って  きょう バスの  中で  もらっている

しかし  これだけでは  ちょっと  少ないと思い  ミャンマーの  民族衣装「ロンジー」と  木彫りの  小さな  釈迦像を  買う

民芸品店の  あとは  ヤンゴンの  下町へ

ヤンゴン市庁舎  最高裁判所を  車窓から  眺め  徒歩で  中央郵便局を  見てから  ランチの  会場へ

ガイドでは「ストランドホテル」で「ハイティー」(軽食)と  ある

ストランドホテルは  中央郵便局の  すぐ近く

1905年に  建てられた  超クラシックホテル

ネットには  こうある

ーーーー

昔、ミャンマーは英国の統治下におかれました。

その時代、ラングーン(現ヤンゴン)はイギリス人たちによって『庭園都市』として整備されました。

今なお、町には英国統治時代の名残や、当時の建物が多く残されています。

その代表がここThe Strand Hotel(ストランドホテル)です。

ストランドホテルは世界に名だたるホテル協会リーディングホテルにも加盟している由緒あるホテルです。

ーーーー

ヤンゴン中心部にある魅力的な3階建てのビクトリア様式のホテルで、国定歴史建造物に指定されています。

大理石フロア、籐の家具を使用した古風な内装が施されており、24時間対応のバトラーサービス、マッサージセンター、会議施設を提供しています。 

パーケットフロアの広々としたスイートは天井が高く、クラシックなクリーム色の内装が施されています。

居心地の良いシーティングエリア、大きなバスルーム(ツイン洗面化粧台、シャワー、バスタブ付)が備わります。 

The Strand, Yangonは、チャイナタウン、スーレーパゴダ、アウンサンマーケットから徒歩20分以内、国立博物館から車で20分、ヤンゴン国際空港から車で30分です。 

マッサージスイートでは、伝統的なミャンマー式マッサージ、フローラルバスでリラックスして過ごせます。

ツアーデスク、共用エリア内の無料Wi-Fi24時間対応のルームサービス、フィットネスルームなどの便利な設備を提供しています。 

The Strandレストランでは、モダンなアレンジを加えた地中海風の高級ダイニングを楽しめます。The Strandカフェでは食事を終日提供しており、Sarkiesバーではドリンクや軽食を楽しめます。

ーーーー

書かれている  とおり  モダンで  気品あふれる  ホテル

「ヤンゴンの  迎賓館」と  言われている  ようだ

「ハイティー」とは  しゃれた  名前

紅茶と  ありとあらゆる  種類の  スィートが  出る

紅茶は  何度も  お代わりが  でき  スィートも  10種以上

食べ切れない

しかし  私の分は  何とか  食べ切った

カフェから  ロビーに  移って  壁の  珍しい  写真や  クラシックな  調度品を  写真撮りしていたら

 何やら  楽器の  音が  聞こえてきた

ロビーの  一角で  若い  女性が  民族楽器を  叩いている

まずは  竹か  木で  作られた  打楽器  次に  横に  飾られていた  弦楽器「竪琴」だ

両方とも  なかなか  終わらない  しかし  心地良い  音色

気持ちが  安らぐ

クラシックホテルの  ロビーは  音響効果も  良く  冷房も  効いて  ハイティーと  いい  癒しの  時間を  楽しませてくれた

旅行会社も  粋な  コースを  セットしてくれたものだ

ホテルの  あとは  再び  バスに  乗る

しかし  時間は  わずか

マハーバンドゥーラ公園へ

周りは  スーレーパゴダ  市庁舎  最高裁判所  中国人街  公園の  中央には  独立記念碑

アウンさんに  したがって  公園内を  歩く

author:Tetsuo Kobayashi, category:紀行, 22:00
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ミャンマー旅行❸

2020.02.23/日

MELIA YANGON  起床

旅行は  0830  スタートだけれど  その前に  朝食する  必要が  ある

3人とは  0700〜に  予定

2階の  レストランへ

たいへん  広い

客も  少ない

テーブル席  ソファー席  あり

すでに  3人は  来ていて  食べ始めている

3人は  アルコールが  ダメな分  食べ物には  うるさい

1品1品の  味を  いろいろ  評論する

並べられている  料理は  思ったより  少ない

入り口で  ミャンマーの  麺スープを  注文できる

ベトナム料理の  フォーと  同じもの

私は  洋食系に  する

珍しく  少なめに  する

0830  予定どおり  きょうの  観光に  向けて  ホテルを  出発

きょうは  バゴー観光

ヤンゴンから  日帰りで  観光できる  古都

ガイドには

ーーーー

ミャンマーの首都ヤンゴンの北東約70kmに位置するバゴーは、バガンやマンダレーと並ぶミャンマーの古都。

1316世紀にはモン族の都となり栄えましたが、18世紀にビルマ族に征服された後は衰退し、現在に至っています。

しかしこのバゴーには、ミャンマーで最も高いパゴダや、多くの巨大な仏が建立され、ジャングルに埋もれたままになっていた寝仏などもあり、見どころいっぱい!

ーーーー

とある

きのうと  同じ  ルートで  北東に  向かう

バスで  約2時間  休憩は  1回

高速道路を  走るが  日本の  一般道と  同じ

センターの  ガードレールの  ようなものは  ない

バイクも  頻繁に  通り  人も  歩いている

道路の  左右は  果物などの  店が  点在する

バゴーに  着い  最初に  訪れたところは「チャカッワイン僧院」

ミャンマーの  お坊さんたちの  暮らしが  わかる  ところだ

集会場  台所  食堂などを  見学できる

すべてに  生活感が  漂っている

ガイドを  見てみる

ーーーー

1864年に創設された僧院で、1000人以上の僧侶が修行している。

530分からと1030分から始まる僧侶の食事風景を見学できるのが魅力。

大鍋で作った食事ができあがると、銅鑼が鳴って食事の合図。

たくさんの僧侶が並び、ごはんなどを受け取ると、大きなホールで一斉に食事。

その様子は見ごたえたっぷり。

午後は僧侶が経典を読み、真摯に修行に励む光景を観ることができる。

仏教国ミャンマーならではの観光スポットだ。

ーーーー

我々も  食事風景を  見学させてもらった

その前に  お布施の  行事が  ある

1列に  並んだ  僧侶たちが  食堂に  入るとき  食べ物や  贈り物を  差し出す  行事だ

案内の  アウンさんから  中身は  わからないが  事前に  3個ほど  小物を  もらった

誰でも  良いので  お坊さんに  1個ずつ  両手で  頭を  下げながら  渡して  欲しい  とのこと

100人は  優に超える  お坊さんの  早足で  歩く  列の  中で  誰に  渡して良いか  悩んでいると  アウンさんが  小さい  子どもの  僧侶を  指して  彼に  どうぞと  指示してくれた

前に  出て  差し出すと  托鉢の  蓋を  開けて  小物を  受け入れてくれた

慣れている

我々以外にも  たくさんの  地元民や  観光客が  並んでいて  我々の  ものとは  まったく  違う  豪勢な  品物を  差し出している

こうした  行いを  何と  言ったら  いいのだろう

一般的には「寄付」「プレゼント」「贈り物」か

「お布施」「寄進」という  言葉も  ある

「贈る」行為は  同じであっても  感謝の  主体は  違うようだ

贈られた側が  ありがたく  思う  場合と  贈る側が  感謝の  念を  持つ  ケースだ

お布施や  寄進は  後者を  指す

ネットを  見たら  こんな  文章を  見つけた

ーーーー

寄付とお布施の違いですが、

寄付は募るもの

お布施は差し出す人が自発的に行うこと。

誤解を恐れず持論を申し上げると、

寄付は、いただいた方が「ありがとうございます」と、言うのに対して

お布施は、差し出す方が「ありがとうございます」と、言うのです。

お坊さんをよく見ていると、

お布施を差し出したときにお礼の言葉は無いです。

寄付は、いただいたほうがその浄財を

有効に使えるように、皆が差し出すのですが

お布施は、その行為そのものが

差し出すほうの徳(得)に繋がると理解しています。

お金を集めるのが目的ではないのです。

欲を手放すための修行の一つでしょうか?

なんの見返りも期待せずに

自分の持っているものを手放すことに

お布施の目的があります。

もっと違う表現では

寄付は、相手の為におこなう。

お布施は、自分の為におこなう。

そんな感じでしょうか。

更に掘り下げて考えると

寄付もお布施もお金や財産を持っている人しか

できないことになってしまいそうです。

本当にそうでしょうか?

お金が無くても、出来る寄付やお布施は無いのか?

(高坂一彦)

ーーーー

ミャンマーは  こうした  考えが  徹底され  習慣化されて  いるのだろう

食事風景も  圧巻だった

100人以上の  老若僧侶が  大ホールに  集合する

1つの  丸テーブルに  4〜5人が  輪になって  座る

スチール製の  食器に  カレーの  ような  料理が  配られる

ご飯は  たっぷり  さらに  お代わりも  できる

漬け物類も  ある

しかし  いたって  質素な  食事だ

できたら  一緒に  食べて  見たかった

せめて  味見でも  できたら  という  思いに  なったが  もちろん  無理

僧侶の  食事は  1日2回

また  僧侶は  正午以降に  食事を  しては  いけないらしい

僧院での  食事時間は  早朝5時と  昼前11時の  2回とのこと

我々には  耐えられない

チャカッワイン僧院  見学の  あとは  昼食

中華料理

種類  量は  先ほどの  僧院の  食事の  内容に  比べれば  雲泥の  

気が  引ける

しかし  昼から  ミャンマービール

昼食の  あとは「シュエモート・パゴダ」

ミャンマーで  いちばんの  高さを  誇る  パゴダと  いわれている

ネットの  解説には  以下の  ように  ある

ーーーー

ヤンゴンのシェエダゴンパゴダ、ピィのシュエサンドーパゴダと並ぶ、ミャンマー三大パゴダの一つとなるシュエモード・パゴダ。

バゴーのシンボル的存在となっているのは勿論ですが、高さ114mあり、ミャンマーで最も高いパゴダです。

シュエモード・パゴダは「黄金の神」という意味をもち、仏塔内部には、仏舎利(仏陀の歯)が納められていることでも知られています。

境内はとても広く、数多くの小さなパゴダや八曜日仏などが建ち並んでいます。

この仏塔は1200年以前、89世紀頃、仏陀の聖髪遺髪を収めるために、モン族の人々によって高さ23mの塔を建てたのが起源。

その後はいく度かの改築により、現在に至った。

1931年の地震では塔が崩れるなど、かなり被害が大きく、ミャンマーの人々の基金やお布施によって、1954年に再建されたという。

いい伝えによると、982年と1385年には仏舎利が納められ、現在ではミャンマーで最も神聖な場所の一つとされています。

ミャンマー随一の高さを誇るシュエモード・パゴダは、黄金に輝き、バゴーの一帯の遠くからでもその姿を見ることができます。

出入口は東西南北に4つの門があり、入り口前に二頭の獅子像が並んでいる場所が正面入り口。

地震で崩落した塔の先端の前で写真を撮るのが定番。

1917年の地震が発生した際に、この崩落した仏塔の先端部分は残ったため、仏陀の聖髪と仏舎利のおかげであると信仰心として信じられており、第二次世界大戦後の1954年に現在の高さのパゴダが再建され、パゴダの北東の一角には1917年の地震で崩落したパゴダの先端部分が、そのままの状態で保存されています。

ーーーー

まだ  ほかの  パゴダに  行ったことが  ないので  その  規模の  大きさは 実感できないが  しかし  黄金に  輝く  寺院の  豪華絢爛さには  圧倒される

日本にも  奈良  京都と  巨大な  神社仏閣は  ある

しかし  その  古色蒼然とした  景観とは  まったく  対象的だ

観光地  というより  いまも  歴然と  命を  持って  その地域に  役割を  果たしている  現役の  施設

信仰の  厚い  ミャンマーを  象徴する  建物だ

シュエモード・パゴダの  あとは「シュエターリャウン寝仏」

全長55メートル  ある  寝仏

ネットの  解説を  見る

ーーーー

シュエターリャウン寝仏は994年に建造されたとされ、ミャンマー最古の寝仏といわれています。

16世紀後半、ビルマ族にバゴー王朝が滅ぼされてから、この寝仏の存在は忘れ去られていました。1880年、ミャンマーがまだイギリスの植民地だった頃、鉄道敷設のための視察時に偶然密林から発見されることとなりました。

現在は大きな屋根で大切に覆われ、仏像には塗装や装飾などが施されています。

その巨大さにも圧倒されますが、特に仏像の枕部分のモザイク装飾や足の裏の模様は美しく見ごたえがあります。

全長55m、高さは16mあります。

また、映画『ビルマの竪琴』の舞台としてもよく知られています。

バゴー地域に入る際は入域料10,000チャットが必要になります。

バゴーで最初に入った観光施設で支払います。

手に入れた共通入場券であちこち入れますので、最後までなくさないようにしましょう。らまた、シュエターリャウン寝仏ではカメラ撮影料300チャット、ビデオ撮影料500チャットが別途かかります。

寝仏像手前の階段を登りきった右側にカウンターがあるので、そこで支払います。

寝仏入り口にある土産物屋では多少の英語が通じるところがありますが、まわりの商店などではほとんどミャンマー語での対応となります。

ヤンゴンからバゴーへはローカルバスや鉄道でも行けますが、観光地を効率的にまわるなら日帰りのオプショナルツアーが便利です。ヤンゴンからは車で約2時間です。

ーーーー

巨大な  寝仏では  あるが  涅槃仏では  ない

他の  ネットの  解説に  ある

ーーーー

バゴー地方で知られる巨大な寝仏像は、全長55mにも及ぶ。

10世紀以前の994年にモン族のミガディパ王によって建立されたものと考えられ、背面の台座に寝仏建立の経緯が描かれています。

バゴー王朝の滅亡と共にその存在も忘れられ、経年のあいだジャングルに覆われてしまい、その後、イギリス植民地時代の1880年、鉄道建設のために訪れたインド人技術者によって偶然発見されたという。

この寝仏像は、高さが16m、顔の大きさが6.86m、目の幅1.14mで圧巻の大きさ。

足の裏や枕のモザイク装飾が見事です。 

ミャンマーでも最高の寝釈迦像といわれています。

仏様らしく柔和なお顔をしています。

歴史的には古く、美しく清々しい巨大な寝仏像です。

日本の映画「ビルマの竪琴」の背景となった巨大な寝釈迦です。

ヤンゴンのチャウッタージーパゴダと同等の大きさと言われています。

寝釈迦像は他の国でもありますが、この寝釈迦はミャンマーでは12を争う巨大寝仏です。

ミャンマー国内にも多くみられますが、よく言われる涅槃像と寝釈迦像。

釈迦像が横たわっている点では同じですが、涅槃像は,お釈迦様が亡くなった、入滅された姿であるのに対して,シュエターリャウン寝釈迦像は,生きているお釈迦様がお休みしている姿でいることで違いますので、優しい顔つきをされていると言われています。

目を見開いており、そして、足の裏に煩悩が描かれているシュエターリャウン寝仏は、寝釈迦像になります。

巨大な足裏の長さは7.77m、見事な曼荼羅が描かれており、非常に由緒あり神秘的です。

仏の持つ三十二の優れた特徴の千輻輪相(せんぷくりんそう)が、繊細なモザイクで見事に表現されています。

大半の寝仏の足裏は、左右並んだ造形が多く見られますが、シュエターリャウン寝仏の場合は右足裏が上部を向いている珍しいものです。

観光客以外にも、地元の信者や僧侶なども興味深く、信仰や学習のため大勢の人々が集まります。

ーーーー

黄金の  衣を  まとい  目は  大きく  見開き  くちびるも  色っぽい

ここも  シュエモード・パゴダと  同じように  素足で  見学

解説には 「カメラ撮影料300チャット、ビデオ撮影料500チャットが別途かかります」とあるが  取られなかった

アウンさんが  何とか  してくれたのかも  知れない

シュエターリャウン寝仏  見学の  あとは  ヤンゴンへ  戻る

同じ  道路  きのうと  同じ  ガソリンスタンドで  休憩

ガソリンスタンドといっても  日本とは  違う

まったく  広い

噴水が  あったり  レストランや  ショッピングセンターも  ある

日本の「ドライブイン」と  いった  感じ

1700ごろ  早めの  夕食

場所は「サボイホテル」と  ある

ネットで  調べてみる

ーーーー

Savoy Hotelは屋外スイミングプール、庭園、サンテラスを併設しています。館内全域で無料Wi-Fiを利用できます。 

すべての客室は光沢のあるウッドフロアやミャンマーのアンティーク家具を用いたコロニアルスタイルの内装で、大きな窓、エアコン、シーティングエリア、衛星テレビ、バスルーム(バスタブ、シャワー付)が備わっています。 

Kipling'sレストランではシュエダゴン・パゴダの景色を眺めながら、アジア料理と洋食を楽しめます。

Bistro at Dhammazediではフランス料理を、Captain'sバーではカクテルを、カフェYangonでは自家製のケーキを提供しています。 

Savoy Hotelはヤンゴン市内から車で10分、ヤンゴン国際空港から車で20分です。敷地内に無料駐車場があります。

ーーーー  

どうも  ヤンゴンでは  一流ホテルの  ようだ

author:Tetsuo Kobayashi, category:紀行, 22:00
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ミャンマー旅行❷

2020.02.22/土

MELIA HOTEL YANGON  起床

0500前に  目が  覚める

少し  眠いが  シャワーを  浴びる

外出用の  荷物を  確認

パスポート  eチケットは  ウエストポーチに  入れ  肌着に  巻く

シャツは  長袖に  するか  半袖に  するか  迷ったが  夏用の  ジャケットが  あるため  半袖に  した

きょうは  今回の  旅行名にも  入っている  ゴールデンロック行きが  中心

我々の  旅行名は 「往復ANAビジネスクラス(成田⇔ヤンゴン間)で行く  奇跡の岩  ゴールデンロックを訪れる  ミャンマー5日間」

長い  名前だ

ヤンゴンから  ゴールデンロックまでは  バスで  片道  4時間00  かかる

距離にして  220km

場所は  キンプン  とある

0550  ホテルロビーに  集合

ガイドの  アウンさんは  もちろん  ほとんどの  同行者が  来ていた

アウンさんから  ウェットティッシュを  渡される

0600  スタート

バスは  きのうと  同じ  30人乗りの  中型バス

運転手  アシスタントも  同じ

アウンさんを  入れると  総勢12

これから  この  同じバス  同じ  人員で  旅行する  ことに  なる

バスは  ヤンゴン市内から  北東に  向かう

朝  早いせいか  街は  静か

アルファベットと  ミャンマー語が  混在した  看板

道路も  街並みも  わりと  きれい

ミャンマーは  右側通行

席は  左側に  した

対向車が  よく  見える

郊外に  出ると  田園風景が  広がる

稲作が  中心

道路の  両側には  路上に  スイカや  メロンなどを  大量に  並べて  売っている  小屋が  けっこう  ある

小屋の  客は  ほとんど  いない

商売に  なっているのか  気になる

朝食は  ホテルの  弁当

開けてみると  サンドイッチ  菓子  ヨーグルト  それに  皮つきの  西洋リンゴが  1個

バスの  中で  食べる

リンゴは  生もので  気になったが  

歯で  かじりながら  食べる

キンプンまで  休憩  2回

外は  だんだんと  蒸し暑くなってきた

目的地に  着く  途中で  靴を  脱ぎ  サンダルに  替える

1000過ぎ  キンプンに  着く

専用トラックに  乗り換え

ゴールデンロックの  鎮座する  山頂  チャイティーヨーに  向かう

専用トラックは  大半が  日本製  それも  中古  

屋根は  あるが  左右と  後ろは  オープン

曲がりくねった  山道を  左右  前後  上下に  激しく  揺られながら  登っていく

運転は  うまいが  荒っぽく  危険

ガイドには  トラック乗車に  特別に  保険を  かけるよう  案内が  ある

写真や  ビデオなどは  撮っている

余裕は  ない

座席の  前や  横の  手すりを  しっかり  握っていないと  おっぽりだされる

けっこう  長い  時間の  乗車

30分は  乗っていた  感じ

途中  小さい  ロープウェイを  見かける

ロープウェイの  ルートも  あるようだ

チャイティーヨー  という  バスターミナルに  着いて  下車

山道は  ところどころに  ぽつんと  民家や  施設が  ある  程度だったが  山頂に  着いて  びっくり

土産店  現地の人  観光客が  いっぱい

ここは  一大観光地に  なっている

アウンさんの  掲げる  鯉のぼりの  旗  目印に  付いていく

道は  狭く  埃っぽい

左右には  土産物店  また  よくわからない  食べ物屋が  並び  売り子の  女性たちが  声を  かけたり  騒いだりしている

10分ほど  歩いて  一  高くなった  施設に  入る

ここは  静か

我々以外は  お店の  人が  一人ふたり

ホテル兼レストランの  ようだ

ここで  少し  休憩

入り口と  反対側は 見晴らしが  良い

15分ほど  休んで  再出発

ゴールデンロックの  ある  頂上を  めざす

道は  平坦  しかし  山道で  ゴツゴツしている

しばらく  行くと  寺院らしい  景観が  広がり  石製の  見慣れない  山門が  目の前に  現れた

ここで  サンダルを  脱ぎ  素足に  なる

ミャンマーの  寺院見学は  すべて  素足で  なければいけない

床(ゆか)というか  歩くところは  すべて  大理石で  できている

しかし  同じ  種類の  大理石では  ない

色も  違う  足の  肌触りも  温度も  異なる

いよいよ  ゴールデンロックが  見えてきた

まさに  黄金に  輝いている

でかい  やはり  いまにも  倒れ落ちそうな  状態で  鎮座している

ネットの  解説に

ーーーー

ゴールデンロックとは、その見た目通り、金色の大きな石。

標高1,101メートルの山頂に位置し、高さ6.7m、周囲は25.6mあります。

その石の上には約11mの仏塔。

今にも落ちそうな不安定な状態で鎮座していますが、数度の大地震の際にも落ちなかったそうです。

それは仏塔の中にブッダの「聖髪」が置かれているだからだとか。

その「神聖さ」から、ミャンマーの人々にとっては「一生に一度は行きたい巡礼地」として知られています。

ゴールデンロックは実は愛称であり、本当の名前は「チャイティーヨー・パゴダ」と言います。

ここではゴールデンロックとして紹介しますが、地元の方々に「ゴールデンロック」と言っても伝わらない場合もあったので、気をつけましょう。

ーーーー

とある

金色は  岩の  表面が  信者から  寄進された  金箔で  貼られ  黄金に  輝いている  せいだ

近くに  行ってみると  やはり  いまでも  何人かの  人が  金箔らしいものを  張り付けている

また  パゴダの  前では  なぜか  女性が  多いが  大勢の  老若男女が  祈りを  捧げている

また  日陰を  見つけて  食事を  している  家族や  集団が  あちこちに  いる

ゴールデンロックは  やはり  ミャンマーの  人たちに  とっては  聖地で  あることが  よく  わかる

雰囲気は  まったく  違うが  日本の  伊勢神宮の  ような  場所だ

1時間ほどの  見学で  ゴールデンロックの  寺院を  後にする

昼食は  先ほど  休憩した  ホテル兼レストラン

野菜中心の  中華料理  焼きバナナ  ミャンマービール

寺院や  通り道の  喧騒  暑さから  離れ  静かで  涼しい  食事は  ありがたい

帰りは  また  バスターミナルに  戻り  専用トラックで  下山

相変わらず  全身に  振動を  味わいながらの  緊張感  いっぱいの  専用中古トラック

キンプンに  着き「専用」バスに  乗り換え  ヤンゴンへ

来たときと  同じ  

見慣れた  景色が  続く

けさの  朝日も  きれいだったが  夕陽も  なかなかの  もの

ミャンマーは  いまは  乾季

雨は  まったく  降らない

雲も  少ないせいか  朝日  夕陽が  楽しめる

ヤンゴンに  着き  夕食用の  レストランへ

店の  名前は 忘れたが  しゃれた  レストラン

きょうの  夕食も  ミャンマー料理

いままでは  瓶の  ミャンマービールだったが  ここでは  生ビール

今回の  旅行で  生ビールが  あるのは  ここだけ  とのこと

食事が  終わったあと  アウンさんに  案内されて  別室へ

10畳ほどの  部屋であるが  アウン・サン・スー・チーさんの  幼少の  写真や  家族の  写真  お父さんの  アウンサン将軍の  写真が  飾られ  将軍の  机や  タイプライターなどの  備品が  置かれている

アウンサン将軍は「ビルマ建国の父」と言われ  いまも  ミャンマーの  人たちから  敬愛されている

夕食の  ついでに  見学するような  場所では  ない

とても  貴重な  史料室だと  思ったが  さりげなく  ガイドの  アウンさんが  無料で  案内してくれた  ことは  嬉しかった

食事の  あとは  MELIA HOTEL  直行

ホテルに  着いて  S兄弟や  Sさんは  アウンさんを  介して  ホテルでの  マッサージを  頼んだ

私は  荷物の  整理なども  あり  人に  気を遣うのも  疲れるので  マッサージは  やめることに  した

ホテルの  部屋に  入り  テレビを  つけながら  荷物整理と  あすの  準備

あすは  0830  スタート

朝食は  ホテルの  バイキング

少し  余裕がある

MELIAホテルは  ガイドブックに  紹介されていた

ーーーー

ヤンゴンを象徴する自然景観の一つインヤー湖のそばに立つ高級ホテル。

主要道路沿いにあって、便利でモダンなショッピングモールのミャンマープラザに隣接している一等地。

重要な会議にも使われる格式の高さがありながら、プールなども備えていてレジャー利用にもピッタリ。

夜はホテルの灯りがインヤー湖に浮かび上がる。

レイクビューの客室からの眺めは爽快。

ーーーー

私が  気に入ったのは  部屋の  広さ  開放感の  ある  バスルーム  それと  やはり  窓からの  レイクビュー

片付けと  あすの  準備が  終わったあと  メールチェック

ホテルの  Wi-Fi  快適

日本と  同じ  感覚で  メールチェックや  インターネット  SNS  できる

author:Tetsuo Kobayashi, category:紀行, 22:00
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ミャンマー旅行❶

2020.02.21/金

神楽坂マンション  起床

アラームの  鳴る  前に  目が  覚める

朝風呂では  なく  シャワーに  する

朝食は  牛乳のみ

温めて  飲む

0730  S兄弟  神楽坂上に 迎えに  来てくれる

クルマは  スバル車  新しい

いろいろ  高速道路を  通って  成田へ

成田空港第1ターミナルには  0840ごろ  到着

空港前の  駐車場に  留める

コートと  セーターを  クルマに  預ける

少し  寒いが  空港は  目の前

4階の  阪急交通社窓口に  直行

eチケット  損害保険証など  諸々の  書類を  受け取る

次に  イモトの  モバイルWi-Fi  器具受け取り場へ

各旅行会社の  窓口コーナーの  すぐ近くに  あった

器具の  入った  ケースを  受け取り  ANA  チョックインカウンターへ

私は  すでに  オンラインで  チェックインを  済ませている

荷物の  預け入れを  済ませる

機内荷物チェックは  ない

預けた  あと  行うようだ

次に  手荷物検査場へ

ビジネスクラスは  エコノミーと  場所が  違う

金属製の  荷物は  すべて  自動検査機用の  ケースに  入れる

問題なく  手荷物検査  終わる

そのあとは  出国検査

これは  完全に  自動化

パスポートを  ガラス製の  検査機に  載せて  顔を  正面に  向ける

緑の  サインが  出たら  OK

出国検査も  簡単に  終わる

ビジネスラウンジへ  直行

けっこう  利用客  多い

朝食は  牛乳だけだったので  カレーや  寿司など  しっかり  食べた

生ビールも  2杯

もう一人の  Sさんとも  ラウンジで  合流

これで  今回の  メンバー  4人全員  揃う

家族  その他に  これから  ミャンマーへ  向かうと  LINEメール

1030過ぎ  搭乗案内の  アナウンスが  流れ  急いで  36番ゲートから  機内へ

私の席は  7A  ビジネスクラス席の  左側の  いちばん  後ろ

隣の  7B席には  顔焼けした  老人が  座っている

私の  ジャケットの  バッチを  見て  同じ  ミャンマーツアーですね  と気軽に  声を  かけてきた

あとで  いろいろ  わかったことだが  この  おじさん  7879

世界中を  旅行している  ようだ

海外旅行の  話は  なかなか  止まらない

長野県の  伊那に  住んでいる

農業  山岳ガイド  合唱団

いろいろな  キャリアの  持ち主

一人参加

とても  話好きな  老人だ

あまり  気を  遣わなくて  済みそうだ

名前は  T.A.さん  という

名称を  もらった

ANA  ビジネス席  設備は  思っていたより  貧弱

やはり  ミャンマーなど  ローカル国への  飛行機は  それなりの  レベルか

隣同士の  席も  近い

プライベート性も  低い

飛行機は  予定通り  1100  搭乗ゲートを  離れる

私は  ミャンマーへの  飛行ルート  もっと  陸地の  上を  行くのか  と思っていたが  すぐに  海の  上に  出て  海上飛行を  続けた

機内の  読みものは  朝日新聞の  朝刊を  頼む

トップは  新型コロナウィルス  クルーズ船の  乗客  2人死亡の  記事

大きく  取り上げている

ヤフーニュースなどで  すでに  情報は  既知の  内容で  そんなに  驚かない

昼食の  前に  おかきが  出て  赤ワインを  頼む

ランチは  洋食を  依頼

T.Aさんは  和食だった

先ほど  ラウンジで  いろいろ  食べたばかり

しかし  ランチも  ほとんど  平らげた

飛行機は  現地時間の  1625  予定通り  ヤンゴン国際空港に  到着

日本と  ミャンマーの  時差は  2時間30

日本時間だと  1855

7時間55分の  フライトだった

たいへん  きれいな  空港

まずは  入国検査

少し  待たされた

検査官は  女性だった

一言  聞かれたが  意味が  わからない

あとで  ミャンマー語の  発音で「成田から?」と  聞かれたようだ

しかし  その場では  なかなか  答えられず  彼女は  少し  いらだったようだが  解放してくれた

入国審査の  終わった  すぐ近くの  場所に  機内荷物受け取りコーナーが  あった

荷物も  まったく  待たないで  出てきた

空港の  出口が  開いたとき  一気に  南国特有の  蒸し暑い  空気に  包まれた

今回の  ツアーは  添乗員は  いない

現地ガイドが  面倒を  見てくれる

出口前で  ガイド  すぐに  見つかった

ヤンゴン国際空港は  けっこう  小さい ようだ

ガイドは  若い  男性

名前は  アウン・スィー・ピョウ  という

30歳代  前半の  若者  と言った  感じ

日本語が  たいへん  うまい

こちらの  話も  よく  わかってくれる

私の  最初の  質問は「何人のツアーですか」

「9人です」と  教えてくれた

旅行会社としては  少数で  たいへんだろうが  ツアー旅行  参加する  者に  とっては  たいへん  少なくて  ありがたい

すぐに  わかったことだが  2組の  老人カップル  T.A.さん  我々4人の  9人だ

揃ったところで  ガイドの  アウンさんの  案内で  クルマ・バス乗り場へ

やはり  外は  蒸し暑さが  気になる

しばらくして  中型の  バスが  横付けされた

30人乗りか

空港から  市内までは  1520分ほど

ホテルに  入る前に  夕食会場へ

名前は  忘れた

小さな  レストラン

ミャンマー料理  とのこと

あまり  きれいな  店では  なかった

ラウンジと  飛行機の  中で  たっぷり  食べた

そのせいか  三分の一ほど  残してしまった

今回の  ミャンマー旅行  9人

同じ  テーブル

ミャンマービールは  美味しかった

夕食は  1時間ほどで  終わり  ホテルへ

名前は  MELIA YANGON

立派な  ホテル

ロビーも  広い  豪華

部屋は  1609号室

やはり  広い  きれい  部屋

バスタブ  トイレ  シャワー室も  独立している

バスタブは  ベッドルームと  ガラス張りに  なっており  オープン

一応  遮る  カーテンは  ある

部屋の  窓からは  湖が  見える

見晴らしも  良い

快適な  部屋だ

湖は「インヤー湖」という  名前

ホテルは  その東側に  位置するようだ

バスタブの  お湯も  しっかり  出る

全身を  伸ばせるほど  広い

あしたの  準備を  して  でかい  ダブルベッドの  中へ

あすは  スタートが  早い

0500  アラームを  セット

MELIA HOTEL YANGON  泊まり

author:Tetsuo Kobayashi, category:紀行, 22:00
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タイ・プーケット島の旅❻

2019.06.03/月

タイ航空TG682便で  羽田へ

06:55  到着  予定通り

バンコクから  5時間半ほどの  旅

6/2の  現地時間  22:45  少し  遅れて  出発

搭乗後  座席の  整理  グリーンティー  赤ワイン

長旅なので  映画でも  見ようと  思ったが 

周りも  暗く  座席前の  TVを  付けている  人は  ほとんど  いない

私も  画面の  スイッチを  切り  横に  なった

夜中の  ビジネスクラスは  ありがたい

180度近く  座席が  フラットに  なる

食事は  洋食を  オーダーしたが  運ばれる前に  無意識に  断ったようだ

仮眠を  取ったが  あまり  眠れなかった

羽田空港に  着き  飛行機を  出てから  着陸ロビーまで 

たいへん  時間が  かかる

日本人の  せいか  入国審査は  簡単

自動カメラで  OK

鏡の  前に  立ち 

パスポートを  手元近くに  ある  斜め横の  画面に  かざすだけ

すぐに  反対側の  ガラス張りの  ドアが  開いて  審査は  終わり

機内預け荷物も  スムーズに  出てきた

プーケット空港から  羽田空港まで  ノータッチで  運んでくれた

土産類も  あるせいか  スーツケース  だいぶ  重い

これを  名古屋まで  自分で  運んでいかなくては  いけない

ちょっと  憂鬱に  なる

07:12  羽田空港発  浜松町行きの  モノレールに  乗る

客は  わずか

浜松町駅から  JRに  乗り換え  東京駅へ

いきなり  満員電車

きょうは  月曜日  早めの  通勤時間帯でも  ある

08:00  東京駅発「のぞみ」大阪行きで  名古屋へ

新幹線は  そんなに  混んでいない

身体が  やはり  だるい

寝不足の  せいか  旅行の  疲れか

09:45ごろ  名古屋駅着

お腹が  空いた

航空内で  朝食を  摂らなかったせいか

プラットホームの  「住よし」で  きつねきしめん

サンパークに  直行

疲れているが  荷ほどき  洗濯  荷物整理に  取り掛かる

洗濯機は  4〜5回ほど  回す

併行して  ビデオ  写真の  整理

PCに  取り込む

旅行期間の  日録作り

プーケット島の  旅は  終わった

author:Tetsuo Kobayashi, category:紀行, 22:00
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タイ・プーケット島の旅❺

2019.06.02/日

DIAMOND CLIFF RESORT&SPA  起床

天気は  良い

きょうは  特別の  観光  オプショナルツアーは  なし

8:30  Ocean View Restaurant へ

ゆっくり  朝食

せっかく  水着持参で  プーケットに  来た

せめて  プールにでも  入りたい

ということで  まず  部屋の  近くの  Waterfall Swimming Poolへ

広い  プールだ

プールに  水が  落ち込む  滝  スパや  バーも  ある

ホテル専用の  プールだけ  あって  人も  少ない

1時間ほど  泳いだり  水浴びを  楽しんだり  したあと 

もう  一つの  プールに  行ってみた

名前は  Ocean View Swimming Pool

確かに  プールから  アンダマン海が  見える

しかし  規模は  小さい

この  プールで  楽しむのは  30分ほどに  した

せっかく  ホテルの前は  道路を  挟んで  海に  なっている

ホテルの  入り口を  出て  道を  渡って  とにかく  行ってみた

海岸沿いに  海辺へ  下りる  坂が  あり  浜辺に  出た

海水浴場では  ないが  岩々の間が  砂浜に  なっている

波は  荒いが  注意すれば  海に  入ることが  できそうだ

しかし  泳いだり  歩いたりは  無理

「海に  浸かる」といった  感じ

静かな  プールとは  まったく  違う

やはり  海だ

波は  ひっきりなしに  やってくる

身体は  安定しない

水を  口に  含むと  明らかに  塩辛い

トータルでは  20分ほど  身体を  海に  沈めていただろうか

しかし  立ち上がったところ  右足の  膝から  少し  血が  滲んでいた

どうやら  岩で  擦りむいてしまった  ようだ

これ以上  海に  浸かるのは  やめることにした

擦りむいた  ところを  海水で  洗い 

砂に  汚れた  サンダルも  洗って  もと来た道に  引き返した

わずかでは  あったが 

プーケット島の  アンダマン海の  海に  入ったことは  事実だ

それだけでも  心残りが  少し  消えた

ホテル内に  戻ったが  まだ  時間が  少し  あったので 

Ocean View Swimming Poolに  入ったり 

プールサイドの  ベンチで  横に  なったりして  過ごした

ウォンさんは  16:00ごろに  迎えに  来る  と言っていた

ホテルの  チェックアウトは  15:00

それまでは  部屋で  荷物の  確認など  ゆっくりした

15:00に  チェックアウトしたが  まだ  時間が  ある

ロビーの  中に  冷房の  聞いた  ガラス張りの  ラウンジが  あり 

そこで  休憩する  ことに  した

お腹が  空いており 

遅い  ランチの  サンドイッチと  コーヒーを  注文した

16:00  少し前に  ウォンさん  来る

ラウンジで  もろもろ  お金の  精算と  これからの  予定を  話す

いまから  プーケット島の  空港に  向かい 

そこで  チェックインして  荷物も  預けて  バンコクに  向かう

バンコク国際空港から  羽田へ  という  コース

16:30ごろ  DIAMOND CLIFF RESORT&SPAを  あとに  する

車も  運転手さんも  きのうと  同じ

北へ  北へと  向かう

プーケット国際空港は  北の  外れに  ある

50分ほど  走っただろうか

17:30ごろ  到着

ウォンさんに  チップ  1000バーツ札  1枚  渡す

ウォンさんと  別れ  すぐに  チェックインと  機内荷物預け

わりと  かんたんに  できた

出発は  19:00

ラウンジを  利用するが  狭い  部屋だった

羽田空港や  バンコク国際空港の  ラウンジとは  だいぶ  違う

飛行機の  便名は  TG218

19:00少し  遅れて  フライト

残念ながら  窓側席では  なかった

20:25  バンコク国際空港へ  到着

乗り継ぎは  22:45

時間は  たっぷり  あるが  乗り継ぎの  場所が  わからない

バンコク国際空港は  あまりにも  広いのか  案内が  不親切なのか 

だいぶ  迷った

ラウンジで  ゆっくりする  時間も  取れなかった

しかし  22:45  やはり  少し  遅れて  離陸した

飛行機の  便名は  TG682

プーケットからの  便と  大きさが  だいぶ  違う

今度は  窓側の  席  広い 

荷物も  横の  ボックスに  入れられる

離陸後  席が  落ち着くまで  少し  時間が  かかる

羽田空港までの  フライト時間は  約5時間半

しかし  フライトアップ  機内での  飲食  フライトダウンなどの 

座席を  倒すことが  できない  時間が  けっこう  あり 

結局は  2〜3時間しか  睡眠が  取れなかった

夜明けの  時間帯に  配られる  機内食も  注文した  記憶は  あるが 

いっさい  口に  できなかった

また  到着時間は  06:55で 

すでに  05:00ごろには  明かり窓から  見ると  外は  明るい

中も  少し  騒がしい

やっと  眠くなった  ところで 

飛行機が  着陸準備態勢に  入り  起こされる

ビジネスクラスとは  いえ 

真夜中の  フライトは  こんなものかと  諦めた

タイ国際航空  TG682便  仮泊まり

author:Tetsuo Kobayashi, category:紀行, 22:00
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タイ・プーケット島の旅❹

2019.06.01/土

DIAMOND CLIFF RESORT&SPA  起床

ベランダが  濡れている

あまり  強くは  ないが  雨が  降っている

しかし  西の空を  見ると  明るい

雨は  やみそうだ

08:00  とりあえず  傘を  持って  朝食会場の  Ocean View Restaurantへ

バイキング料理

出ている  飲食物は  きのうと  変わらない

しかし  種類は  多いので  飽きることは  ない

野菜中心に  きょうも  洋食系に  した

南の  国らしく  フルーツが  豊富

玉子料理も  オーダーできる

具が  フルコースの  オムレツを  小柄で  若い  女の子に  作ってもらう

きょうは  スタートが  10:30との  ことなので 

ゆっくり  breakfastを  楽しむことが  できる

Ocean View Poolを  すぐ横に  見ながら 

風通しの  良い  広い  レストランでの  朝食は 

それだけで  リッチな  気分に  させてくれる

1時間ほどで  終えて  部屋に  戻る

きょうは  パンガー湾ツアーと 

夜の  サイアムニラミット&ディナーショー

ホテルに  戻るのは 

すべての  ツアー  ショーが  終わってから  とのこと

23:00近くに  なるという

念のため  着替えを  持っていく

きのうも  昼は  暑く  すぐ  汗で  びっしょりに  なった

バンガー湾ツアーは  ガイドに

ーーーー

マングローブが生い茂る河口を抜け、

奇岩がそそり立つ景観のパンガー湾を巡り、

007で有名なタブー島、水上村で有名なパンイー島も見学。

ーーーー

とある

パンガーは  プーケット島から  橋を渡った  隣の県

プーケット島に  あるわけではない

パンガー湾は  タイ国立公園に  なっている

パトンビーチから  1時間ほど  北東へ  向かう

遠い

名前は  わからなかったが  観光地化された  船着場に  着く

大小の  エンジン付きの  船が  入り江に  いっぱい  並んでいる

観光客も  おおぜい  いる

観光船の  ような  大型の  船も  ある

それぞれ  グループごとに  乗り込みが  終わったら 

エンジンの  大きな  音とともに  水しぶきを  あげて  湾へと  出て行く

みんな  オレンジ色の  ライフジャケットを  身につけている

私も  同じように  ライフジャケットを  つけて 

小型の  ボートに  乗り込む

ありがたいことに  船は  貸し切りだった

しばらくは  マングローブの  入り江が  続く

パンガー湾の  入り口は  遠浅の海の  ようだ

ボートの  進む  前後左右の  あちこちに  とんがった  島々が  見える

規模は  違うようだが 

ベトナムの  ハロン湾に  感じが  よく  似ている

天気が  良く  日差しは  強いが 

ボートの  スピードが  早く  顔に  当たる  海風が  気持ち良い

エンジンで  回転する  プロペラは  海面  すれすれに  あるため 

音も  大きく  水しぶきも  激しい

見えてくる  とんがった  島々も  大きさ  形は  いろいろ

30〜40分ほど  すると  水上に  浮かんでいるように 

木製の  家々や  金色を  した  ドームの  ような  ものが  見えてきた

ここが  どうも  ガイドブックに  あった  水上村の  ようだ

すでに  たくさんの  船が  入り口に  横付けされている

あちこちに  桟橋があり  その1つの  ところで  ボートを  降りる

すぐ前が  レストランに  なっている

ここが  昼食の  予定に  なっている  水上シーフードレストランか

天井は  低いが  中は  けっこう  広い

木製の  テーブル  椅子が  無造作に  置かれている

店の  中には  スカーフを  かぶった  女性が  観光客を  接待している

スカーフは  イスラム女性が  よく  身につける  「ヒジャブ」

顔も  頭も  すべて  黒い  布で  隠している  場面を 

映画や  テレビで  見たり 

旅行でも 

インドネシア  マレーシア  ベトナム  カンボジアなどに  行ったとき 

見かけたことが  あるが 

ここでは  色も  いろいろ  顔も  隠していない

水上村の  ある  島の  名前は  パンイー島

住民は  すべて  イスラム教徒

だから  レストランには  アルコール類は  いっさい  置いていない

飲み物は  コーラか  お水

ランチが  運ばれてきた

種類も  けっこう  あったが  量も  びっくり

味は  みんな  辛い

私は  食べ物を  残すことは  大嫌いだけれど 

ここでは  大半を  余してしまった

話に  よれば  残り物は 

店の  人や  近所の  住民が  あとで  きれいに  食べて  くれるようだ

ランチが  終わったあと  レストランの  奥に  案内された 

レストランの  奥は  狭い  路地に  なっていて 

まず  土産物屋が  並び  さらに  入り組んだ  路地に  沿って 

人々の  生活する  普通の  家々に  続いていた

ありがたい

ガイドの  ウォンさんが  気を利かせてくれて

水上村の  中までを  案内しようと  してくれたのだ

パンガー湾の  水上村は  ここだけの  はずなのに 

観光客の  ほとんどは  レストランで  食事を  終えると 

そのまま  また  桟橋から  船に  乗って 

次の  観光コースへと  行ってしまう

レストランの  奥に  ある  土産物屋さんすら  立ち寄らないのだ

実際に  レストランの  奥へ  行ったのは  我々くらいだった

土産物屋は  1軒ずつ  ヒジャブを  つけた  女性が  1人ずつ  座り 

店番を  している

ほとんどの  人は  積極的に  土産を  売ろうと  しない

ただ  座っているだけだ

私も  時間が  ないので  素通りするだけ

しばらく  行くと  少し  平けた  ところに  出た

上を  見上げると  金色に  輝いた  丸い  塔が  3つほど  見える

モスクだ

周りの  うす汚い  家々とは  あまりにも  対照的で 

大きくて  立派な  建物だ 

耳を  済ますと  お祈りを  している  ような  声が  聞こえてくる

残念ながら  モスクの  中には  入らなかった

さらに  しばらく  行くと  校舎の  ような  建物が  あった

ウォンさんが  「学校です」と  教えてくれた

小さな  学校だ

水上村の  人口は  ネットで  調べたら  1,500人と  あった

勝手な  推測だが  子どもたちは  多くて  200人ほどか

カンボジア旅行の  とき  訪れた  トンレサップ湖の  水上部落の  学校は 

子どもたちが  小舟で  通っていたが 

ここは  1つの  小さな  村に  なっており 

歩いて  1〜2分も  かからない

また  トンレサップ湖の  水上部落と  この  パンガー湾の  水上村の  違いは 

前者は  湖に  浮かんでおり  湖の  上を  移動できるように  なっているが 

ここは  海が  浅く  地面に  杭が  すべて  打ち込まれ 

その  上に  家が  建てられているのだ

すべて  高床式の  造りに  なっている

だから  移動することは  できない

海の  干満が  どれだけ  あるか  わからないが 

波は  ほとんどなく  たいへん  穏やかな  湾だからこそ 

こうした  村を  作ることが  できたのだろう

イスラム教徒だけの  村ということを  考えると 

宗教的な  迫害から  逃がれてきたのかも  しれない

彼らの  ことを 

「シージプシーと  言われる  回教徒」と  ネットに  あった

学校の  入り口に  回ってみた

現地の子らしい  色黒の  10歳くらいの  女の子に 

突然  土産物らしい  小物を  押し付けられて 

なにやら  真剣に  言い寄られた

要は  「買ってくれ」と  言っているようだ

話している  言葉を  聞くと 

「エデュケーション、エデュケーション」と  言っている

「教育?」  どういう意味か

私は  「買え」と  言うのでは  なく  「教育的な寄付を  して欲しい」と  解釈した

場所も  学校の  まん前だ

売りつけているものは 

磁石の  付いた  安っぽい  バッジの  ような  もので 

少しも  欲しいとは  思わない

要は  カンボジアでも  遭遇した 

アジアの  観光地に  よく見られる  物乞いの  少女なのだ

ハウマッチ?  と  英語で  聞くと 

「100バーツ、100バーツ」と  答える

財布から  小銭を  出そうと  すると 

この  少女より  さらに  小さい  女の子が  二人  また  寄ってきて 

必死に  同じ  行動を  する

これは  まずいと  思って 

最初の  少女に  100バーツ  渡して  早々に  その場を  離れた

アジアの  観光地では  当たり前の  光景が 

ここ  水上村にも  あったのだ

しばらく  歩くと  びっくりするものに  出くわした

海の  上に  広い  球技場が  あった

どうも  サッカー場の  ようだ

緑色の  地面は  人口芝か

サッカーを  している  人は  いなかった

しかし  陸地から  遠く  離れた  海の  上に 

小さな  島を  見つけ 

へばりつくように  村を  作り 

暮らしを立て 

祈りの場  学校  スポーツ施設を  作り 

しっかりと  生活している  人びとが  いる

家々は  けっこう  オープンで 

部屋の  中を  かいま見ることが  できる

大したものは  何も  ない 

質素  そのものの  彼らの  暮らし

何か  答えを  出す  必要は  ないだろう

人も  生き物も  それぞれの  場所で 

それぞれの  暮らしと  生き方で  生きていけば  いいのだ

1時間ほど  歩いたのか

だれも  いなくてなった  もとの  レストランに  戻り 

繋がっている  桟橋から 

来たときと  同じ  スピードボートで  水上村を  あとに  した

水上村を  離れても 

モスクの  塔だけが  いつまでも  金色に  輝いていた

次に  向かった  島は  タブー島  別名  ジェームズ・ボンド島

映画「007」の  ロケ地に  使われた  島だ

いまにも  倒れそうな  奇岩が  そそり立つ  島

到着が  遅すぎた  せいか  土産物屋も  店じまい  していた

ほかにも  垂直に  そそり立つ  岩と岩の  間に  鍾乳洞が  あるようだが 

入ることは  できなかった

30〜40分  島に  いて  帰路に  着いた

帰りは  同じ  ボートで  1時間ほど 

もとの  入り江の  船着場へ  戻った

たくさんの  観光ボートが  停泊している

パンガー湾は  やはり  大きな  観光地なんだ

パンガー湾 

少し  馴染んできたかな  と思ったら  もう  お別れだ

船着場を  出て 

きょうの  夜の  オプショナルツアーの  「サイアムニラミット」に 

向かったのは  17:30を  過ぎていただろうか

場所は  プーケット島の  中央  東側に  ある

サイアムニラミットは  Siam Niramitと  書く

「サイアム」とは  タイ王国の  昔の  名称

日本でも  Siam(シャム)と  呼ばれていた

「ニラミット」は 

「(神さまの力を借りて)創造する」という  言葉らしい

ガイドには

ーーーー

タイの歴史と文化を再現した世界級レベル、

豪華絢爛豪華かつ神秘的なショー。

園内には象もおり、タイビレッジも再現。

ビュッフェディナー付き、ゴールドシートでご用意。

ーーーー

とある

到着したのは  18:00過ぎ

たいへん  広い  敷地の  公園

受付の  建物が  ある  ビルの  中に  入って 

すぐに  2階へ  案内される

レストラン  やはり  広い 

ビュッフェ形式で  タイ料理が  並んでいる

窓側の  席に  座る

広場の  入り口に  象が  2頭  並んで  鼻を  揺らせている

観光客が  与える  餌を  食べている

外は  だいぶ  暗くなって  きた

タイの  地ビール  「チァーン」を  注文

タイ料理の  ほうは  だいぶ  少なめに  した

それに  あまり  美味しくなかった

ナイトショーは  20:00から

夜に  なってしまったけれど 

公園内に  ある  タイビレッジ  Thai Village を 

少しでも  見学したかったので  30分で  ディナーは  切り上げた

タイビレッジは 

タイの  4つの地方「北部」「東北部」「中部」「南部」

それぞれの  農村地帯  暮らしぶりを  再現した  施設で 

けっこう  広い

ライトアップされて  楽しめる

本物の  水牛も  いる 

川も  再現されている

衣服などの  日用品や  花かざり、伝統工芸品も 

若い  女性が  実演で  作っており  楽しめる

急ぎ足で  回っていると  ウォンさんに  ばったり  会った

「私の  田舎も  同じで  小さい  ときは 

こんな  感じで  暮らしていました」と  話す

少し  案内して  もらった

タイビレッジを  出ると  人が  集まっている

ボクシングの  リングが  あり 

グローブを  持った  二人が  上がって  軽く  動いている

どうやら  これから  試合か  ショーが  始まるようだ

そうか

タイは  キックボクシングが  有名な  国だった

夕闇の  中で  イベントが  始まった

けっこう  真剣なので  やはり  「試合」なのだろう

間近で  見ると  迫力がある

20分ほどで  決着が  着く

しかし  何となく  筋書きの  ある  ショーとも  見えた

この  サイアムニラミットは  「タイ」が  基本の  テーマパーク

タイビレッジ  キックボクシングも  そうだけれど 

これから  始まる  ショーも  タイの  暮らしや  歴史が  テーマ

20:00から 

サイアムニラミットの  メインイベントの  ショー  始まる

受付で  荷物検査 

カメラ  ビデオは  取り上げられて  ロッカーに  預けられる

会場は  たいへん  広い

ネットの  案内には

ーーーー

65メートルあるパノラマステージでのタイ伝統舞踊ショー!

2005年11月にオープンしたサイアムニラミットは

2000人収容可能の室内に、

65メートルあるパノラマステージという大規模な舞台で、

タイの歴史、祭礼、天国・地獄などを題材にした、

本格的タイカルチュラルショーがお楽しみいただけます。

派手な演技と壮大なスケールのパフォーマンスと魅惑のステージが

このサイアムニラミットの魅力。

ーーーー

とある

まさに  解説に  あるとおりの  内容・ショーだった

いちばんの  驚きは  舞台の上に  本物の  川が  作られていたことだ

タイの歴史、祭礼、天国・地獄などの  テーマごとに 

舞台背景は  ガラリと  変わり 

照明  音楽ともに  変化に  冨み  出演者も  大勢 

タイ伝統舞踊も  さまざまな  衣装で  演じられる

あっという間の  1時間半だった

終わったあとは  出演者たちが  舞台衣装の  まま 

ショー会場出口や  広場で  手を  いっぱいに  振り 

感謝の  気持ちを  表す

観客は  一緒に  写真撮影したり  同じように  手を振ったりして 

名残り惜しそうに  サイアムニラミットを  跡にしていく

こちらも  ホテルまでは  車で  30分以上も  かかる  とのことで 

慌ただしく  サイアムニラミットを  離れた

テーマパークを  離れると  外は  一気に  暗くなる

道路には  ほとんど  街灯は  ない

プーケット島の  真ん中あたりを  東から  西に  抜ける  感じ

あいかわらず  曲がりくねった  山道  アップダウンも  激しい

運転手さんは  慣れているらしい

スピードも  けっこう  出している

西側の  海岸近くに  なると 

あちこちに  明かりが  目立つように  なる

いくつかの  湾が  あり  それぞれに  砂浜が  あり 

リゾートビーチに  なっている

プーケット島は 

東側が  歴史や  文化  住民の  暮らしが  あり 

西側は  滞在型の  リゾート地に  なっているようだ

ホテルには  22:30  着く

明日は  もう  日本に  帰る  日

ホテルに  着いて  まだ  サイアムニラミット  の  余韻が  残っているが 

帰り仕度を  始める

明日の  帰国と  言っても  夕方から  夜中の  こと

ウォンさんと  運転手さんが  迎えに  来るのは  16:00の  予定

ホテルは 

15:00までに  チェックアウトすれば  良いことに  なっている

ある程度の  帰り仕度を  しておけば 

プールに  入ったり  ホテルの  周りを  散歩する  時間は  たっぷりある

土産も  けっこう  買ったのか  トランクは  いっぱい

シャワーの  あと  バスタブに  ゆっくり  浸かる

羽田から  出発して  きょうまでの  3日間

いろいろ  思い出されるが  終わったら  あっという間だ

今夜は  最後の  DIAMOND CLIFF RESORT&SPA  泊まり

author:Tetsuo Kobayashi, category:紀行, 22:00
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タイ・プーケット島の旅❸

2019.05.31/金

DIAMOND CLIFF RESORT & SPA  起床

昨夜  少し雨が  降ったようだ

ベランダが  濡れている

アンダマン海の  方向に  虹が  見える

目立たないが  細い  虹だ

虹の  部分は  4分の1

ホテルは  まだ  雨っぽい

傘を  持って  朝食の  会場へ

急な  坂道を  下る

あちこちに  南国の  草花や  樹の花が  咲いている

睡蓮も  片隅にある

樹に  咲いている  あちこちの  純白の  花は  プルメリアと  いうようだ

朝食会場は  Ocean View Restauranという  名称

南国に  よくある  三方が  開放された 

風通しの  良い  オープンな  レストラン

それに  たいへん  広い

食事は  ビュッフェ・スタイル

飲食物は  ガラス張りの  部屋に  まとめられている

清潔感が  ある

目玉焼きや  オムレツなど  即席で  調理してくれる

レストランの  横には  海が  見える  開かれた  プール

Ocean View Swimming Poolと  名付けられている

シーズンオフの  せいか  客は  少ない

雨は  止んでいる

雀たちが  レストランの  中に  入り込んで  食べクズを  漁っている

プール側の  席で  朝食

まずは  飲みもの  フレッシュミルクに  パイナップルジュース

次に  野菜を  見繕って  名前の  わからない  ドレッシングを  かける

ビュッフェ内の  若い  男の子に  オムレツを  注文

ソーセージや  名前も  わからない  煮物類を  少し

席に戻って  周りの  景色や 

レストランの  客を  眺めながら  ゆっくり  食事

きょうの  オプショナルツアー「島内観光+象乗り」は 

09:00  スタート

部屋に  戻り  外出の  支度を  して  シャトルカーで  ロビーへ

ロビーには  すでに  ガイドの  ウォンさんが  いた

昨夜の  ドライバーさんも 

きのうと  同じ  車の  運転席で  待機していた

ホテルから  南へ  向かう

最初に  向かったところは  KARON VIEW POINT  小高い  丘

下は  湾に  なった  ビーチが  いくつか  ある

アンダマン海を  見渡せる

新しい  国王の  全身の  写真が  公園の  中心に  ある

写真や  周りは  黄金で  彩られている

車から  見る  道々にも  国王の  写真が  飾られ 

タイは  まさしく  王国だと  わかる

次に  向かった  ところは  プロンテップ岬

Cape Phromthep

プーケット島  最南端に  ある  岬

アンダマン海に  沈む  真っ赤な  夕陽が  評判の  観光スポット

残念ながら  午前中の  見学では  夕陽は  見ることが  できない

岬の  上は  公園に  なっている

公園の  中心は  金色の  お釈迦様が  中央に  飾られ

周りを  大小の  象の  彫り物が  守るように  囲んでいる 

象は  神聖な  動物で  タイの  守り神と  言われている

また  ここは  タイの  海軍の  記念場所とも  なっている

軍艦の  ミニチュアや  軍人の銅像  展示施設などが  ある

タイは  微笑みの国  仏教国では  あるが 

いまも  徴兵制が  敷かれ  軍人国家でも  あるのだ

プロンテップ岬の  あとは  「象乗り」コース

30分ほど  車で  北へ

プーケット島の  道路は  メイン道路  だけかも  しれないが 

わりとよく  整備されている

東の海岸線を  しばらく  行き  右に  折れる

木立の  低い  林の  中を行き  ちょっとした  広場で  車を  降りる

やはり  車の  外は  蒸し暑い

冷房の  効いた  車内と  だいぶ  違う

しばらく  歩くと 

レンガ造りの  建物が  あり 

正面の  上に  大きな  象の  顔だけの  モニュメントが  飾られている 

その下に  Welcome to Kinnaree  と書かれた  表札

ここで  「象乗り」体験の  お金を  払う

ウォンさんに  手続きを  してもらう

しばらくすると 

Phuket Elephant Bathingと  書かれた  看板が  目に  入る

その前を  通って 

KINNAREE ELEPHANT TREKKINGとある  入り口を  入ると 

思ったより  小さい  象たちが  いる

10数頭は  いる

小屋に  入って  草を  食べたり  している

周りは  あまり  手入れされていない 

広い  原っぱに  なっていて 

この  原っぱを  象に  乗り  散歩するのが

ここの  「象乗り」の  ようだ

屋根の  ついた  簡単な  木製の  建物が  あり 

その  2階に  上がる

ここが  象の  乗り場

しばらく  すると  ゆっくり  1頭の  象が  近づいてくる

象の  首の  あたりに  日焼けした  小柄な  おじさんが 

カマみたいな  ものを  1つ  持って  乗っている

背中には  人  二人が  座れるほどの  椅子が  くくりつけられている

どうも  この  椅子に  乗るようだ

ゆっくりと  乗り込む

私の  首には 

写真用カメラと  ビデオカメラ  脇には  ショルダーバッグが  あり 

苦労する

きちんと  安定した  形で  座っているか 

象使いの  おじさんが  確認して  何か  高い声を  出す

すると 

象が  ゆっくりと  向きを  草原の  ほうに  変え  歩き始めた

象の  体というか  肌は  とても  硬い

足を  乗せても  石の  地面のようだ

ゆっくり  ゆっくりと  おじさんの  指示に  したがって  歩いていく

以前に  やはり  タイを  訪れたとき  象乗りを  経験したが 

そのときは  山道を  上ったり  下ったり  また  小川を  渡ったりしたが 

きょうの  象乗りは  平坦な  ところを  歩くだけ

それでも  多少の  緊張感は  ある

それにしても  日差しは  強い

いまは  シーズンオフの  雨季では  あるが 

今回は  天候に  恵まれたようだ

おじさんが  途中で  大きな  日除け傘を  貸してくれた

また  いま  乗っている  象の  名前は

 「エンミー」といって「女性」だそうだ

エンミーは  黙々と  指示された  道を  行く

歩くたびに  こちらの  身体も  左右に  揺れる

しかし  それは  ほんのわずかだ

予定どおり  30分ほどで  周遊は  終わり  もとの  乗り場に  帰る

20バーツの  チップを  おじさんに  渡して  エンミーから  離れる

エンミーは  毎日  おじさんと  一緒に  これを  繰り返しているのか

しかし  1日に  何回  同じ  草原を  回っているのだろうか

「象乗り」が  終わったあと 

食堂を  兼ねた  休憩場で  ココナッツジュースを  飲む

ココナッツの  頭を  割って  ストローで  吸う

  天然は  やはり  美味しい

食堂の  隅に  いくつか  大小の  絵が  飾ってあり 

近くで  30歳前後の  若者が  風景画を  描いている

記念に  額のない  紙だけの  絵を  200バースで  買う

川で  水浴びしている  象と  タイの  田舎を  描いた  小さな  風景画だ

これで  象乗りコースは  終わり

そのあとは  車で  近くの  レストランへ

この「島内観光+象乗り」の  オプショナルツアーは  昼食付き

ランチは  バイキングの  店

入り口に  THAI BUFFET LUNCH  in sea seafood buffet とある

店は  たいへん  広い

あとで  中国系観光客が  どっと  入ってくる

一気に  賑やかになる  というか  うるさくなる

食べたものは 

スープ  玉ねぎサラダ  揚げ物  タイごはん  スパゲッティ  スイカ

次に  向かったのは  いちばん  行きたかった  シャロン寺院

プーケットの  ガイドブックには  必ず  載っている 

シャロン寺院  WAT CHALONG

プーケット島  最大の  有名な  仏教寺院

屋根は  赤茶色に  カーブして  柱は  金色に  彩られた 

大きな  寺院建築が  大小  あちこちに  ある

敷地も  広い

シーズンオフの  せいか  観光客は  少ない

しかし  地元らしい  人は  あちこちに  いる

ときどき  激しく  爆竹の  はぜる音が  聞こえる

3人の  高僧が  祀られている  という  本堂は 

靴を  脱ぎ  帽子も  取って  入る

前もって  長い  線香  ハスの花  小さな  紙包みの  「お参り3セット」を  買う

お金は  いくらでも  良いとの  こと

賽銭箱に  バーツ紙幣を  入れる

寺院の  中心に  ある  高層たちの  像は  寄進された  金箔で  覆われている

小さな  紙包みには  1cm四方の  金箔が  3枚あり 

それを  3人の  高僧の  像の  体に  貼るという  お参りの  しかただ

3体の  像の  前には  7〜8人の  男女が  座して 

お参りを  したり  おみくじの  箸を  鳴らしたり  している

シャロン寺院と  3僧については  ネットに  次の  記事が  ある

ーーーー

落ち着いた色彩の日本建築の寺院とは異なり、

白を基調として赤や金の色合いの建物が色鮮やかで目を見張ります。

遡ること約300年前、1837年に建立されました。

1876年に起きた中国移民の大暴動を奇跡的に鎮圧した僧侶、

「ルアン・ポー・チャム」と「ルアン・ポー・チュアン」と

その弟子の「アン・ポー・グルアム」の3僧が祀られており、

健康・商売・学業などが奇跡的に叶うパワースポットとして

多くのタイ市民に愛されています。

ーーーー

そのほか  寺院の  境内には  タイ王室博物館  仏舎利塔などが  ある

日本の  神社仏閣とは  まったく  違う

日本は  どうしても  古色蒼然と  いった  感じだが 

タイの  寺院群は  豪華絢爛で  鮮やか

いまも  暮らしの  中に  生きている 

1時間ほど  見学 

そのあと 

ウォンさんの  知り合いが  やっているという  お土産屋さんへ

お付き合いに  Tシャツと  金色の  象の  置き物を  買う

次は  カシューナッツ工場の  お店

SRIBHURAPA ORCHID

カシューナッツは  タイ土産の  定番  だそうだ

10種類以上も  味に  違いが  ある  とのこと

荷物に  なりそうなので  カシューナッツは  買わなかったが 

代わりに  また  木製の  象の  置き物を  買う

そのあと  向かったのは  プーケットの  オールドタウン

単に  プーケットタウンとも  言うそうだ

プーケット島の  南東部

バトンビーチとは  反対側

プーケットは  かつて  東西の  交易と  錫の  産地として  栄えた  ところ

その中心が  ここ  プーケットオールドタウン

オールドタウンと  言っても  古色蒼然  としている  わけではない

その逆で  とても  カラフルな  街

オランダ  ポルトガル  中国(華僑)の  人たちが  作り上げた 

国際色  豊かな  街だ

観光地  というより  庶民の  街

食堂  衣料品店  雑貨屋が  軒を  連ねる

有名な  タランロード沿いの  華僑の  寺院を  覗いてみた

門  提灯  お堂  旗など  けばけばしい  赤色

太く  長い  線香

人は  ほとんど  いない

奥に長い  長方形の  形  意外と  中は  ひんやり

オールドタウンの  街中の  道路を  1時間ほど  ぶらつく

異国の街  それも  歴史を  感じさせてくれる  オールドタウンを 

歩くのは  楽しい

それなりに  一度は  栄華を  極め 

大勢の  人が  賑やかに  ひしめき合いながら  暮らした  街

ここ  プーケットタウンも  交易と  錫の  産地で 

海外から  たくさんの  人びとが  集まって  できた  街

いまは  人通りも  少ないが 

当時は  華やかな  街だったことを  あちこちの  建物が  教えてくれる

「オールドタウン」と言われる  ところは  どこの国にも  ある

また  いまは  それなりに  観光地として  残っている

海外旅行の  楽しみの  一つだ

プーケットタウンの  さわりだけ  垣間見て 

きょうの  昼の  島内観光は  これで  終わり

ここから  ホテルの  ある  バトンビーチに  帰る

観光地図を  見ると 

プーケットには  まだまだ  たくさんの  訪れたい  場所が  ある

しかし  3泊5日の  かけ足旅行では  無理

15:30過ぎ  プーケットタウンを  あとにして   

名もない  町々を  通り 

やはり  アップダウンの  激しい  曲がりくねった  道路を  通って 

東から  西海岸へ  向かう

観光コースに  入っていなかったが 

ウォンさんに  頼んで  10分でも  いいから 

バトンビーチの  見学を  させてもらうことに  した

ゆったりと  カーブした  湾内に 

砂浜が  長く  続いている  2kmほど  ある  有名な  ビーチ

まだまだ  暑いせいか 

泳いでいる人も  海辺で  日光浴を  している人も  少ない

バトンビーチは 

以前に  訪れた  フィリピンの  ボラカイと  とても  よく似ている

海岸沿いに 

ホテルや  レストラン  衣料品店や  土産物屋  娯楽施設が  並んでいる

夜は  やはり  たいへん  賑わうそうだ

プーケットは  世界でも  有数な  リゾート地 

その中でも  いちばん  人が  集まると  いわれている  バトンビーチ

10数年前  大津波で  大変な  被害に  あったとは  いえ 

いまは  だいぶ  回復している  という

あとで  わかったことだが 

きょうの  夕食は  この  ビーチ沿い  中心近くの  レストランで 

食事することに  なっていた

ダイヤモンド・クリフ・ホテルは 

バトンビーチから  クルマで  5〜6分の  ところに  ある

帰りは  17:00近くに  なった

シャワーを  浴び  着替えを  して  ホテルの  ロビーへ

夜の  オプショナルツアーに  行くためだ

昼  あれだけ  島内観光で  回ったのに  思ったより  疲れは  ない

夕食とショーが  セットされた

「サイモン&ディナー」(Simon&Dinner)コース

予定では  17:30スタートだが 

30分遅れの  18:00に  ホテルの  ロビーを  出る

まだまだ  明るい

車で  バトンビーチの  海岸沿いの  レストランへ

オプショナルツアーの  「案内ガイド」には 

「バトンを見下ろす高台のレストランで」とあったが 

高台どころか  すぐ前が  海だ

しかし  ここの  ほうが  良い

入り口は  オープンで  バトンビーチが  すぐ前に  見える

奥に細長い  店

まだ  早いせいか  客は  ほとんど  いない

食事は  シーフード  奮発して  ロブスター料理つき

しばらくして  入り口から  夕陽の  赤い  日差しが  入ってきた

バトンビーチが  プーケット島の  西側に  あることが  わかる

とても  きれいな  夕陽

ありがたい

ときどき  夕陽の  手前を 

右から  左手に  パラシュートが  ゆっくり  よぎっていく

パラセーリング  という  マリンスポーツだ

思ったより  夕陽は  遅く  沈んでくれた

バトンビーチや  椰子の樹  レストラン内を  赤く  染める  夕陽を 

何枚か  カメラに収めながら  ロブスターを  楽しむ

忙しい  ディナーだ

1時間ほどの  食事を  終えて  次の  コースへ

バトンビーチの  北の  外れに  ある 

「サイモン・キャバレー」という  場所

今回の  プーケット旅行の  期待の  イベント

「ニューハーフショー」が  行われる  会場だ

ニューハーフショーは 

タイを  訪れるたびに  見ている  タイの  名物イベントだ

20:30から  開演

出演者は  おおぜい  いたが 

歌と  踊りに  終始した  シンプルな  ショー

世界各国の  有名な  曲も  メドレーで  歌い  踊っていく

バンコクで  見た  ショーは  もっと  凝った  演技が  入り 

ユーモアショーも  散りばめられていた

1時間の  短い  ショーだったが 

それでも  華麗な  舞台は  楽しめた

彼女(?)たちは 

「美しい」とは  感じないが  「きれい」であることは  間違いない

普通の  女性より  圧倒的に  きれいだ

それにしても  びっくりする  くらい  背が  高い

タイの  一般的な  男性より  だいぶ  背丈が  ある

どうしてだろうか

ショーの  写真撮影や  ビデオ撮りは  禁止

しかし  終了後の  ロビーでの  「お別れ挨拶」は 

出演者が  全員  並んで  手を  降っている

観客は  みんな  我れ先に  携帯で  パチパチやっていた

「ニューハーフ」とは  何だろう

この  ショーの  魅力は  何だろう

生まれ持った  性(さが)を  認め 

元気いっぱいに  生きようと  している  彼女(?)たち

その  姿と  生き方が 

ショーが  華麗であれば  あるほど  人を  感動させるのだろう

21:30には  ショーは  終わったが 

会場を  離れたのは  22:00近くだった

ホテルには  20分ほどで  着いた

長い  長い  1日が  終わった

明日は  10:30  スタートに  なった

予定では  08:30〜であったが  ガイドの  ウォンが  決めた

こちらの  年齢を  考えてくれたのか  自分の  都合か  わからない

しかし  朝  ゆっくり  できるのは  いまの  私には  ありがたい

おおぜいの  ツアーではなく 

結果的に  貸し切りツアーに  なったおかげで 

旅の  自由度は  一気に  増した

とりあえず  軽く  荷物整理を  して  バスタブに  入り  横に  なる

今夜も  DIAMOND CLIFF RESORT&SPA  泊まり

author:Tetsuo Kobayashi, category:紀行, 22:00
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タイ・プーケット島の旅❷

2019.05.30/木

06:10  起床

朝食  牛乳と  トースト2枚  マーガリンと  いちごジャム

シャワー  着替え

07:15  マンションを  出る

飯田橋駅  秋葉原  浜松町  ここから  モノレールで  羽田空港国際線ビルへ

飯田橋からの  総武線は  人が  少なかったが 

秋葉原から  浜松町の  山手線は  身動きが  できないほど  混雑

モノレール線も同じく  人で  いっぱい

飯田橋から  50分ほどで  国際線ビル駅に  到着

08:20ごろに  なった

駅を  出たら  すぐに  3階の  搭乗ロビーに  なっている

タイ航空の  チェックインカウンターは  Iコーナー

先に  日本円50,000円ほどを  タイバーツに  両替

1バーツ=4.9円

空港内の  レートは  高い

次に  5日間の  海外旅行保険の  手続きを  する

4,200円

旅行会社からも  保険の  案内は  来ていたが 

このほうが  手続きは  簡単

タイ航空の  チェックインカウンターへ

ビジネスクラスの  コーナーは  もちろんだけど 

エコノミークラスの人  乗客も  ほとんどいない

ビジネスクラスの  手続きは  すぐに  終わる

預け入れ荷物は  プーケット空港まで  運んでくれ 

そこで  受け取る  ことに  なる

飛行機は  ANAの  コードシェア便

ANAの  カードに  マイルが  着く

手荷物検査も  ほとんど  並ばないで  問題なく  済む

搭乗審査も  カメラの  前に  立つだけで  自動的に  OK!

思っていたより  簡単に  搭乗エリアに  入ることが  できた

タイ航空は  ANAと  契約しているようで 

ラウンジは  ANAの  施設へ

けっこう  広い

ラウンジで  軽食を  食べながら  ゆっくりしていたら 

搭乗時間  ギリギリに  なってしまった

私が  搭乗  最後の客だった

10:35  羽田発  バンコク行き

搭乗機は  TG683

ビジネスクラスの  入り口から  機内へ

さらに  階段を  上がって  2階席へ

18J席

飛行機で  2階席は  初めて

ビジネスクラスの  席としては  中間クラスか

ウインドウサイドの  席

アテンダントの  女性たちは 

みんな  タイの  民族衣装を  デザインした  制服

色は  紫

タイの  ナショナルカラーか

いまから  タイへ  行くんだ  という  実感が  少し  湧いてくる

10:35を  過ぎて  飛行機は  動き始めたが 

なかなか  前に  進まない

フライトの  飛行機が  混んでいると  アナウンスあり

離陸したのは  11:00近く

バンコクまでは  5時間半の  旅と  アナウンスあり

タイ語  英語の  あと  日本語の  アナウンスあり 

ありがたい

ビジネスクラスは  やはり  ゆったりできる

窮屈感は  まったく  ない

座席の  機能も  エコノミーと  違い  いろいろ楽しめる

客室乗務員の  サービスも  違う

天気も  まあまあ  良い

窓からの  景色も  楽しめる

進行方向  右側の  席

フライト後  しばらくしたら  富士山が  見えた

雲の  上に  突き出ている

飛行機は  海側を  ゆっくり  進む

ウエルカムドリンクは  アイスティーに  した

食事は  3種類から  選ぶ

タイセット料理  洋食  和食の  3コース

最初  洋食  和食の  2種類から  選ぶように  言われた  ようだったが 

英語の  わからない  私は  しっかり  理解しなかった  ようだ

とりあえず  「洋食」を  頼んだけれど 

席の  前に  置いてある  メニューCUISINEには  3種類  ある

ダメもとで  タイセット料理を  頼み直したら  OKだった

南国の  料理だけ  あって  辛めでは  あったが  美味しかった

雲の上に  来てしまえば  外の景色は  変わらない

タイの  音楽を  聞いたり  観光ビデオを  見たりして  過ごす

現地時間  15:05  バンコク到着

ここで  国内線に  乗り換え

待ち時間は  1時間40分ほど  ある

国内線でも  かんたんな  荷物検査あり

搭乗口を  確認したあと  ラウンジへ

入り口に  Royal Silk Roungeと  あった

ラウンジの  中は  けっこう  広い

少し  飲み食いしたけれど  何かは  忘れた

出発は  現地時間  16:45

30分前に  搭乗口へ

A5ゲート

すでに  たくさんの  人が  いる

飛行機名は  TG217

ビジネスクラス  優先

ビジネスクラスは  すべてに  差を  つけている

先ほどの  国際線より  だいぶ  小さい  機種

1列  6席  私は  15A席

国内線も  窓側

簡単な  食事が  出る

プーケット空港へは  18:05に  着く

2時間の  時差が  あるので  日本では  20:05という  ことになる

きれいな  空港  しかし  小さい

国内線の  せいか  入国等の  手続きは  なし

すぐに  機内預け荷物の  受取場へ

スーツケースは  すぐに  出てきた

出口も  近い

ドアが  開くと  「小林哲夫」という  ステッカーを  持った 

少し  色黒の  男性が  正面に  いた

きちんとした  日本語を  話す

この人が  ホテルまで  案内してくれるようだ

すぐに  見つかって  ホッとする

簡単な  挨拶のあと  8人乗りの  ミニバンが  やってきて  乗り込む

まだ  明るい

運転手さんは  わりと  歳を取った  おじさん

プーケット空港から  バトンビーチの  ホテルまで 

40〜50分  かかる  とのこと

走る  車の  中で  いろいろ  説明を  聞く

空港  ホテル間の  送り迎え  だけでなく 

明日からの  オプショナルツアーの  案内も  してくれる  とのこと

要は  プーケットでの  観光は  ガイド付き  ミニバンの  専用車付きで 

4日間  案内してくれる  ようだ

考えても  いなかった

とても  ありがたい

たまたま  そうなったようだ

ガイドの  名前は  NATCHAPON  通称「ウォン」さん

あとで  わかったが  年は  53歳

姉弟の  二人の  お父さん

若いとき  1年3か月ほど  日本に  農業実習で  来たことが  ある  という

なんと  私の  生まれた  西尾市に  いたとのこと

急に  近親感が  湧く

タイは  徴兵制度が  あり  くじ引きで  決めるとのこと

ウォンさんも  2年ほど  陸軍に  いた  ようだ

銃を  持った  制服姿の  写真も  見せてもらった

だんだん  わかってきたことだけど 

日本語は  ペラペラ  よく喋る

しかし  何を  言っているのか  よく  意味が  わからない

片言の  日本語では  なく  主語  述語が  うまく  繋がっていないのだ

何を  言いたいか  雰囲気だけ  わかる  感じ

熱心な  仏教徒であり  まじめで  明るい  人だ

ミニバンは  プーケット島の  中心道路を  走る

アップダウンや  曲がりくねった  道が  多い

バトンビーチ  手前に  ある  ホテルには 

現地時間で  19:30くらいに  着く

ホテルの名前は  DIAMOND CLIFF RESORT & SPA

海沿いの  山地を  切り開いて  作られた  ホテルだ

ガイドブックには

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バトンビーチ北側の丘の斜面に立つ。

静かな環境にありながら、賑やかなバトンの町へもすぐの好立地。

内装は伝統的なタイ様式。

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ネットでは

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言わずと知れたタイ最大のビーチリゾート、プーケット。

パトンビーチの北、小高い丘に建てられた絶好のロケーション。

ホテルからは壮大なアンダマン海が見渡せます。

4つのレストラン、2つのスイミングプール、

スパや各種アクティビティプログラムなどが充実し、

ホテル内にて存分にお楽しみいただけます。

日本人向けのサービスが充実していることで知られ、

ホスピタリティあふれるホテルでは安心してご滞在頂けます。

また、2016年には一部改装を終え、

ますます快適にお過ごしいただけるようになりました。

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4.5星印ホテル  日本人スタッフが  いる  とのこと

実際に  チェックインカウンターに  若い  日本人女性が  いた

泊まる  部屋は  歩いても  5分と  かからない

しかし  けっこう  急な  坂道に  なっている

泊まる  部屋と  ロビーとは  ホテル  専用の  シャトルカーで  行き来する

ウォンさんが  受付の  手続きを  してくれる 

部屋は  5209号室

「DIAMOND SUITE ROOM」

ホテルには  プールが  2つ  あるが 

ヤシに  囲まれた  Waterfall Swimming Poolの  そばに  ある

5号棟の部屋  広い 

ヤシの  樹々の  向こうに  バトン湾と  アンダマン海が  見える 

ベランダが  あり 

バスタブ  シァワー室  トイレ  洗面台が  独立して作られている

寝室と  居間は  セットで  12畳以上は  ある

ここで  3日間  泊まることになる

食事は  国際線  国内線で  十分に  いただいた

いまは  お腹は  一杯

スーツケースの  荷物を  ほどいて  シャワーを  浴び 

バスタブに  ゆっくり  浸かる

長かった  一日を  振り返る

明日は  オプショナルツアー

昼は観光+象乗り30分

夜は  サイモン&ディナー

今夜は  DIAMOND CLIFF RESORT & SPA  泊まり

疲れている  せいか  すぐに  寝落ちした

author:Tetsuo Kobayashi, category:紀行, 22:00
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