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- ミャンマー旅行❺
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2020.02.25 Tuesday
2020.02.25/火
ANA NH814便 起床
04:00には CAの 女性に 起こされる
朝食は 和食に した
少し 残した
日本時間の 06:45 成田国際空港に 予定どおり 到着
入国検査も 自動 待たされることなく 終わり 機内に 預けた 荷物も すぐに 出てきた
Sさんと 別れて イモトの Wi-Fi器具を 空港内の 店に 返却
Wi-Fi器具 ほとんど 役に 立たなかった
空港から 外に 出て すぐ前の 駐車場へ
やはり 寒い
ズボン下は 履いていない
しかも 夏用の 薄い ズボンだけ
上着は 夏の ジャケットの まま
S兄弟の 車に 乗り込み 上だけ セーターを 着る
エアコンも 効いてきて 寒さは 少し 和らぐ
神楽坂に いったん 戻ろうと 思ったが 荷物も 重い
東京駅に 送ってもらうことに した
わりと 早めに 東京駅に 着く
丸ノ内側から 新幹線ホームへ
09:13の「のぞみ」で 名古屋へ
これで 昨年の 秋から 予定していた ミャンマー旅行も 無事に 終わり
大きな 問題や トラブルも なく 旅行できた
72歳という 年齢を 考えると 旅慣れない 自分に とっては まず 無事に 行って帰ることが いちばん 大事
旅行も それなりに 楽しめた
大満足の 時間だったと 言えよう
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2020.02.24 Monday
2020.02.24/月
MELIA HOTEL YANGON 起床
きょうは ヤンゴン 最後の日
窓からの インヤー湖の 眺めも 見納め
時間が 少しあり シャワー
08:30 きのうと 同じ 2階の 広い レストランで 3人と 朝食
同じ テーブル 同じ 席
並べられている 料理や 食べ物も 変わらない
きょうも 洋食系の 軽めの 朝食に した
10:00 スーツケースを 部屋の ドアの 前に 出そうと したら ホテルの ボーイさんが いて すぐに 持っていってくれた
大きな ホテルでは スーツケースや トランクは 部屋の ドアの 前に 置いておけば ロビーまで 運んで くれるようだ
初めての 経験
10:10ごろ 手提げ鞄 ハンドバッグを 持って ロビーへ
やはり ガイドの アウンさん すぐに 近寄ってきて チェックアウト 済ませてください と話す
正面の カウンターに 行き 部屋の キーカードを 渡す
冷蔵庫などは まったく 利用していない
OKの 返事を もらい ロビーに 戻る
まだ 時間が あったので ロビーの 外に 出て ホテルの 玄関や 建物 周りの 景色を 撮る
10:30には 全員 揃い 出発
MELIA HOTELには もう 戻らない
きょうは ヤンゴン市内の 見学
最初に 訪れた ところは アウンサンスーチー邸
長い間 軟禁されていた 有名な 場所だ
意外と 道路沿いの 街の 中に あった
訪問 といっても 玄関前で 1〜2分 バスを 降りて 写真撮影だけ
門は 閉まっていた
横に 2〜3人 軍服を 着た 警備員が ぶらぶらしていた
我々の あと 欧米人の 観光客も 来て 門を 見学していた
アウンサンスーチーさんは いまは ミャンマーの 首都に なっている ネピドー(ネーピードー)という ところに 滞在している とのこと
ネピドーは 2006年に 軍事政権が 旧首都 ヤンゴンの 代わりに 作った 新しい 首都
ミャンマーの 政治は ここで 行われている ようだ
アウンサンスーチー邸のあとは 僧院学校(寺子屋)見学
ヤンゴン市内を 少し 離れた 街中に あった
親元を 離れて 学ぶ 子どもたち 身寄りの ない 孤児たち 公立学校に 行けない 貧しい 子どもたち 内戦から 逃れてきた 子どもたちの 生活 勉強 すべての 面倒を 見ている
学校は 有名な お坊さんや 力のある 僧侶に よって 設立され お布施や 寄進などの 浄財 ボランティア団体に よって 運営されている
バスは 貧しそうな 家々が 並ぶ 道路に 留まる
バスから 降り アウンさんの 後を 着いていく
小さな 路地に 入る
すぐに 道路に 沿って 幅が 3〜4メートルの 小川が ある
小川というより 水路
水は ほとんど 流れていない
汚い ゴミが いっぱい
路地の 左右に 掘っ立て小屋の ような 民家が 並ぶ
路地から 部屋の 中が 見える
決して 快適とは いえない 狭く 暗い
2〜3分 歩くと コンクリートの 3〜4階建ての 建物が 見えてきた
ここが 僧院学校らしい
入る前から 子どもたちが アウンさんに 何やら 声を かけて 抱きついてくる
アウンさんに とっては 馴染みの 場所らしい
観光客を いつも 連れてくる ようだ
講堂に 入る
100人近い 子どもたちが 整然と 座っている
ほとんどの 子どもが 袈裟を まとっている
一斉に 大きな 声で 合唱する
意味は わからない
どうも 歓迎の 挨拶らしい
バスが 着いたときから アウンさんと 一緒に やってきた 女性2人から 風車の オモチャが たくさん 入った 袋を 渡される
子どもたちに 1個ずつ 渡すように 指示される
パンフレットに あった「おやつの寄付を手渡していただきます」とは このことか
理解するのが 遅すぎる
全員に 渡ったところで 再び 子どもたちの 合唱
合唱と いっても 歌うわけではない
お経の ように 一斉に 昌和するのだ
感謝の 言葉の ようだ
そのあと 写真を 撮ってもらう
あとで わかったことだが アウンさんと 一緒に やってきた 女性2人は 今回の 現地の 旅行会社の 人で アウンさんと 同僚の ようだ
この 僧院学校の 前で 待ち合わせ 我々の ために 事前に 子どもたちへの お布施の オモチャを 用意してくれていたのだ
私は はじめ 学校の 先生かと 勘違いしていた
僧院学校の 子どもたちは 明るくて 元気だ
昌和するときも 誰一人として 怠けている 子は いない
この 僧院学校の 名前は わからない
ミャンマーは もちろん ここ ヤンゴンだけでも 僧院学校は たくさん あるようだ
ネットで 調べてみると ヤンゴンでは「クーラーマ・マーラ僧院学校」が 載っていた
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一つの教室に50人以上の子どもたちがひしめき、大きな声で教科書を読み上げる声が響き渡る。
ここはミャンマー・ヤンゴン市内のクーラーマ・マーラ僧院学校だ。
一見通常の公立小学校と変わらない光景だが、ここには民族・宗教の壁を超えて孤児や貧困層の約400人の子どもたちが集まっている。
シャン州の内戦に伴う国内避難民の子ども、ラカイン族、ムスリムと多様だ。
「仏の道に従って、困っている人たちに手を差し伸べる。
ただそれだけです。
それが異民族・異教徒であることは関係ない」。
そう語るのはクーマーラ・ラーマ氏。
この学校を創立した僧侶だ。2000年に僧院を立ち上げ、集まった浄財を活用して、2009年に身寄りのない子ども9人を預かり、孤児院兼学校であるこの施設を開校した。
現在はボランティアを含む10人の教員、経営に携わる弟子の僧侶たち、多くの寄付者に支えられ、400人規模の生徒を迎えている。
そのうちおよそ250人は孤児、残りが貧困のため公立学校に通えない子どもたちだ。
それぞれに困難を抱えて親らに連れられてやってきた。
最近では内戦状態のシャン州から逃れてきた子どもが全体の約8割に達すると言う。
中には、シャン語が母語であるため、ビルマ語の授業についていくのに苦労する生徒もいる。
現場の教員は教科を教えるだけでなく、それぞれの事情で心に傷を負って入校してくる子どもたち一人ひとりに目を配り、不安を取り除くことも重要な役割だ。
2年生の英語と算数担当の教員イエン・ティン・ルゥインさん(19)は「科目は公立学校と同じですが、進め方は私たち教員で子どもたちの理解度を見ながら独自の方法をとっています」と説明する。
子どもたちは時折不安げな表情を見せることもあり、「みんな純粋で可愛い反面、見ていて心が痛みます。
必要としているのは何よりも私たちの愛情です」と話す。
ミャンマーでは公立学校は「一定以上のお金がある家庭の子どもが行くところ」といわれる。
放課後に教員が開く補修クラスに参加するのがほぼ必須の慣例となっている。
一般的には1レッスン1000円程度、1科目週に1回程度で、これを生徒4〜5人の家庭で分担する。
それが払えないことは授業についていけなくなることを意味し、学校を続けられない子どもも多い。
内戦や貧困など、社会的・経済的問題に翻弄され、教育機会を失う子どもが後を絶たない。
ミャンマーでは公教育が必ずしもすべての子どもたちを受け入れる場になりえていない。
そんな中、僧院学校はミャンマー社会にとって、困難な状況にある子どもたちにも教育を提供できる最後の砦のような存在になっている。
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僧院学校の あとは ミャンマー民芸品店へ
土産は アウンさんの 勧めで アウンさんの 会社から コーヒーと 石鹸の 入った 手編みの 小袋を 買って きょう バスの 中で もらっている
しかし これだけでは ちょっと 少ないと思い ミャンマーの 民族衣装「ロンジー」と 木彫りの 小さな 釈迦像を 買う
民芸品店の あとは ヤンゴンの 下町へ
ヤンゴン市庁舎 最高裁判所を 車窓から 眺め 徒歩で 中央郵便局を 見てから ランチの 会場へ
ガイドでは「ストランドホテル」で「ハイティー」(軽食)と ある
ストランドホテルは 中央郵便局の すぐ近く
1905年に 建てられた 超クラシックホテル
ネットには こうある
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昔、ミャンマーは英国の統治下におかれました。
その時代、ラングーン(現ヤンゴン)はイギリス人たちによって『庭園都市』として整備されました。
今なお、町には英国統治時代の名残や、当時の建物が多く残されています。
その代表がここThe Strand Hotel(ストランドホテル)です。
ストランドホテルは世界に名だたるホテル協会リーディングホテルにも加盟している由緒あるホテルです。
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ヤンゴン中心部にある魅力的な3階建てのビクトリア様式のホテルで、国定歴史建造物に指定されています。
大理石フロア、籐の家具を使用した古風な内装が施されており、24時間対応のバトラーサービス、マッサージセンター、会議施設を提供しています。
パーケットフロアの広々としたスイートは天井が高く、クラシックなクリーム色の内装が施されています。
居心地の良いシーティングエリア、大きなバスルーム(ツイン洗面化粧台、シャワー、バスタブ付)が備わります。
The Strand, Yangonは、チャイナタウン、スーレーパゴダ、アウンサンマーケットから徒歩20分以内、国立博物館から車で20分、ヤンゴン国際空港から車で30分です。
マッサージスイートでは、伝統的なミャンマー式マッサージ、フローラルバスでリラックスして過ごせます。
ツアーデスク、共用エリア内の無料Wi-Fi、24時間対応のルームサービス、フィットネスルームなどの便利な設備を提供しています。
The Strandレストランでは、モダンなアレンジを加えた地中海風の高級ダイニングを楽しめます。The Strandカフェでは食事を終日提供しており、Sarkiesバーではドリンクや軽食を楽しめます。
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書かれている とおり モダンで 気品あふれる ホテル
「ヤンゴンの 迎賓館」と 言われている ようだ
「ハイティー」とは しゃれた 名前
紅茶と ありとあらゆる 種類の スィートが 出る
紅茶は 何度も お代わりが でき スィートも 10種以上
食べ切れない
しかし 私の分は 何とか 食べ切った
カフェから ロビーに 移って 壁の 珍しい 写真や クラシックな 調度品を 写真撮りしていたら
何やら 楽器の 音が 聞こえてきた
ロビーの 一角で 若い 女性が 民族楽器を 叩いている
まずは 竹か 木で 作られた 打楽器 次に 横に 飾られていた 弦楽器「竪琴」だ
両方とも なかなか 終わらない しかし 心地良い 音色
気持ちが 安らぐ
クラシックホテルの ロビーは 音響効果も 良く 冷房も 効いて ハイティーと いい 癒しの 時間を 楽しませてくれた
旅行会社も 粋な コースを セットしてくれたものだ
ホテルの あとは 再び バスに 乗る
しかし 時間は わずか
マハーバンドゥーラ公園へ
周りは スーレーパゴダ 市庁舎 最高裁判所 中国人街 公園の 中央には 独立記念碑
アウンさんに したがって 公園内を 歩く
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2020.02.23 Sunday
2020.02.23/日
MELIA YANGON 起床
旅行は 08:30 スタートだけれど その前に 朝食する 必要が ある
3人とは 07:00〜に 予定
2階の レストランへ
たいへん 広い
客も 少ない
テーブル席 ソファー席 あり
すでに 3人は 来ていて 食べ始めている
3人は アルコールが ダメな分 食べ物には うるさい
1品1品の 味を いろいろ 評論する
並べられている 料理は 思ったより 少ない
入り口で ミャンマーの 麺スープを 注文できる
ベトナム料理の フォーと 同じもの
私は 洋食系に する
珍しく 少なめに する
08:30 予定どおり きょうの 観光に 向けて ホテルを 出発
きょうは バゴー観光
ヤンゴンから 日帰りで 観光できる 古都
ガイドには
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ミャンマーの首都ヤンゴンの北東約70kmに位置するバゴーは、バガンやマンダレーと並ぶミャンマーの古都。
13〜16世紀にはモン族の都となり栄えましたが、18世紀にビルマ族に征服された後は衰退し、現在に至っています。
しかしこのバゴーには、ミャンマーで最も高いパゴダや、多くの巨大な仏が建立され、ジャングルに埋もれたままになっていた寝仏などもあり、見どころいっぱい!
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とある
きのうと 同じ ルートで 北東に 向かう
バスで 約2時間 休憩は 1回
高速道路を 走るが 日本の 一般道と 同じ
センターの ガードレールの ようなものは ない
バイクも 頻繁に 通り 人も 歩いている
道路の 左右は 果物などの 店が 点在する
バゴーに 着いて 最初に 訪れたところは「チャカッワイン僧院」
ミャンマーの お坊さんたちの 暮らしが わかる ところだ
集会場 台所 食堂などを 見学できる
すべてに 生活感が 漂っている
ガイドを 見てみる
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1864年に創設された僧院で、1000人以上の僧侶が修行している。
5時30分からと10時30分から始まる僧侶の食事風景を見学できるのが魅力。
大鍋で作った食事ができあがると、銅鑼が鳴って食事の合図。
たくさんの僧侶が並び、ごはんなどを受け取ると、大きなホールで一斉に食事。
その様子は見ごたえたっぷり。
午後は僧侶が経典を読み、真摯に修行に励む光景を観ることができる。
仏教国ミャンマーならではの観光スポットだ。
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我々も 食事風景を 見学させてもらった
その前に お布施の 行事が ある
1列に 並んだ 僧侶たちが 食堂に 入るとき 食べ物や 贈り物を 差し出す 行事だ
案内の アウンさんから 中身は わからないが 事前に 3個ほど 小物を もらった
誰でも 良いので お坊さんに 1個ずつ 両手で 頭を 下げながら 渡して 欲しい とのこと
100人は 優に超える お坊さんの 早足で 歩く 列の 中で 誰に 渡して良いか 悩んでいると アウンさんが 小さい 子どもの 僧侶を 指して 彼に どうぞと 指示してくれた
前に 出て 差し出すと 托鉢の 蓋を 開けて 小物を 受け入れてくれた
慣れている
我々以外にも たくさんの 地元民や 観光客が 並んでいて 我々の ものとは まったく 違う 豪勢な 品物を 差し出している
こうした 行いを 何と 言ったら いいのだろう
一般的には「寄付」「プレゼント」「贈り物」か
「お布施」「寄進」という 言葉も ある
「贈る」行為は 同じであっても 感謝の 主体は 違うようだ
贈られた側が ありがたく 思う 場合と 贈る側が 感謝の 念を 持つ ケースだ
お布施や 寄進は 後者を 指す
ネットを 見たら こんな 文章を 見つけた
ーーーー
寄付とお布施の違いですが、
寄付は募るもの
お布施は差し出す人が自発的に行うこと。
誤解を恐れず持論を申し上げると、
寄付は、いただいた方が「ありがとうございます」と、言うのに対して
お布施は、差し出す方が「ありがとうございます」と、言うのです。
お坊さんをよく見ていると、
お布施を差し出したときにお礼の言葉は無いです。
寄付は、いただいたほうがその浄財を
有効に使えるように、皆が差し出すのですが
お布施は、その行為そのものが
差し出すほうの徳(得)に繋がると理解しています。
お金を集めるのが目的ではないのです。
欲を手放すための修行の一つでしょうか?
なんの見返りも期待せずに
自分の持っているものを手放すことに
お布施の目的があります。
もっと違う表現では
寄付は、相手の為におこなう。
お布施は、自分の為におこなう。
そんな感じでしょうか。
更に掘り下げて考えると
寄付もお布施もお金や財産を持っている人しか
できないことになってしまいそうです。
本当にそうでしょうか?
お金が無くても、出来る寄付やお布施は無いのか?
(高坂一彦)
ーーーー
ミャンマーは こうした 考えが 徹底され 習慣化されて いるのだろう
食事風景も 圧巻だった
100人以上の 老若僧侶が 大ホールに 集合する
1つの 丸テーブルに 4〜5人が 輪になって 座る
スチール製の 食器に カレーの ような 料理が 配られる
ご飯は たっぷり さらに お代わりも できる
漬け物類も ある
しかし いたって 質素な 食事だ
できたら 一緒に 食べて 見たかった
せめて 味見でも できたら という 思いに なったが もちろん 無理
僧侶の 食事は 1日2回
また 僧侶は 正午以降に 食事を しては いけないらしい
僧院での 食事時間は 早朝5時と 昼前11時の 2回とのこと
我々には 耐えられない
チャカッワイン僧院 見学の あとは 昼食
中華料理
種類 量は 先ほどの 僧院の 食事の 内容に 比べれば 雲泥の 差
気が 引ける
しかし 昼から ミャンマービール
昼食の あとは「シュエモート・パゴダ」
ミャンマーで いちばんの 高さを 誇る パゴダと いわれている
ネットの 解説には 以下の ように ある
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ヤンゴンのシェエダゴンパゴダ、ピィのシュエサンドーパゴダと並ぶ、ミャンマー三大パゴダの一つとなるシュエモード・パゴダ。
バゴーのシンボル的存在となっているのは勿論ですが、高さ114mあり、ミャンマーで最も高いパゴダです。
シュエモード・パゴダは「黄金の神」という意味をもち、仏塔内部には、仏舎利(仏陀の歯)が納められていることでも知られています。
境内はとても広く、数多くの小さなパゴダや八曜日仏などが建ち並んでいます。
この仏塔は1200年以前、8〜9世紀頃、仏陀の聖髪遺髪を収めるために、モン族の人々によって高さ23mの塔を建てたのが起源。
その後はいく度かの改築により、現在に至った。
1931年の地震では塔が崩れるなど、かなり被害が大きく、ミャンマーの人々の基金やお布施によって、1954年に再建されたという。
いい伝えによると、982年と1385年には仏舎利が納められ、現在ではミャンマーで最も神聖な場所の一つとされています。
ミャンマー随一の高さを誇るシュエモード・パゴダは、黄金に輝き、バゴーの一帯の遠くからでもその姿を見ることができます。
出入口は東西南北に4つの門があり、入り口前に二頭の獅子像が並んでいる場所が正面入り口。
地震で崩落した塔の先端の前で写真を撮るのが定番。
1917年の地震が発生した際に、この崩落した仏塔の先端部分は残ったため、仏陀の聖髪と仏舎利のおかげであると信仰心として信じられており、第二次世界大戦後の1954年に現在の高さのパゴダが再建され、パゴダの北東の一角には1917年の地震で崩落したパゴダの先端部分が、そのままの状態で保存されています。
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まだ ほかの パゴダに 行ったことが ないので その 規模の 大きさは 実感できないが しかし 黄金に 輝く 寺院の 豪華絢爛さには 圧倒される
日本にも 奈良 京都と 巨大な 神社仏閣は ある
しかし その 古色蒼然とした 景観とは まったく 対象的だ
観光地 というより いまも 歴然と 命を 持って その地域に 役割を 果たしている 現役の 施設
信仰の 厚い ミャンマーを 象徴する 建物だ
シュエモード・パゴダの あとは「シュエターリャウン寝仏」
全長55メートル ある 寝仏
ネットの 解説を 見る
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シュエターリャウン寝仏は994年に建造されたとされ、ミャンマー最古の寝仏といわれています。
16世紀後半、ビルマ族にバゴー王朝が滅ぼされてから、この寝仏の存在は忘れ去られていました。1880年、ミャンマーがまだイギリスの植民地だった頃、鉄道敷設のための視察時に偶然密林から発見されることとなりました。
現在は大きな屋根で大切に覆われ、仏像には塗装や装飾などが施されています。
その巨大さにも圧倒されますが、特に仏像の枕部分のモザイク装飾や足の裏の模様は美しく見ごたえがあります。
全長55m、高さは16mあります。
また、映画『ビルマの竪琴』の舞台としてもよく知られています。
バゴー地域に入る際は入域料10,000チャットが必要になります。
バゴーで最初に入った観光施設で支払います。
手に入れた共通入場券であちこち入れますので、最後までなくさないようにしましょう。らまた、シュエターリャウン寝仏ではカメラ撮影料300チャット、ビデオ撮影料500チャットが別途かかります。
寝仏像手前の階段を登りきった右側にカウンターがあるので、そこで支払います。
寝仏入り口にある土産物屋では多少の英語が通じるところがありますが、まわりの商店などではほとんどミャンマー語での対応となります。
ヤンゴンからバゴーへはローカルバスや鉄道でも行けますが、観光地を効率的にまわるなら日帰りのオプショナルツアーが便利です。ヤンゴンからは車で約2時間です。
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巨大な 寝仏では あるが 涅槃仏では ない
他の ネットの 解説に ある
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バゴー地方で知られる巨大な寝仏像は、全長55mにも及ぶ。
10世紀以前の994年にモン族のミガディパ王によって建立されたものと考えられ、背面の台座に寝仏建立の経緯が描かれています。
バゴー王朝の滅亡と共にその存在も忘れられ、経年のあいだジャングルに覆われてしまい、その後、イギリス植民地時代の1880年、鉄道建設のために訪れたインド人技術者によって偶然発見されたという。
この寝仏像は、高さが16m、顔の大きさが6.86m、目の幅1.14mで圧巻の大きさ。
足の裏や枕のモザイク装飾が見事です。
ミャンマーでも最高の寝釈迦像といわれています。
仏様らしく柔和なお顔をしています。
歴史的には古く、美しく清々しい巨大な寝仏像です。
日本の映画「ビルマの竪琴」の背景となった巨大な寝釈迦です。
ヤンゴンのチャウッタージーパゴダと同等の大きさと言われています。
寝釈迦像は他の国でもありますが、この寝釈迦はミャンマーでは1,2を争う巨大寝仏です。
ミャンマー国内にも多くみられますが、よく言われる涅槃像と寝釈迦像。
釈迦像が横たわっている点では同じですが、涅槃像は,お釈迦様が亡くなった、入滅された姿であるのに対して,シュエターリャウン寝釈迦像は,生きているお釈迦様がお休みしている姿でいることで違いますので、優しい顔つきをされていると言われています。
目を見開いており、そして、足の裏に煩悩が描かれているシュエターリャウン寝仏は、寝釈迦像になります。
巨大な足裏の長さは7.77m、見事な曼荼羅が描かれており、非常に由緒あり神秘的です。
仏の持つ三十二の優れた特徴の千輻輪相(せんぷくりんそう)が、繊細なモザイクで見事に表現されています。
大半の寝仏の足裏は、左右並んだ造形が多く見られますが、シュエターリャウン寝仏の場合は右足裏が上部を向いている珍しいものです。
観光客以外にも、地元の信者や僧侶なども興味深く、信仰や学習のため大勢の人々が集まります。
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黄金の 衣を まとい 目は 大きく 見開き くちびるも 色っぽい
ここも シュエモード・パゴダと 同じように 素足で 見学
解説には 「カメラ撮影料300チャット、ビデオ撮影料500チャットが別途かかります」とあるが 取られなかった
アウンさんが 何とか してくれたのかも 知れない
シュエターリャウン寝仏 見学の あとは ヤンゴンへ 戻る
同じ 道路 きのうと 同じ ガソリンスタンドで 休憩
ガソリンスタンドといっても 日本とは 違う
まったく 広い
噴水が あったり レストランや ショッピングセンターも ある
日本の「ドライブイン」と いった 感じ
17:00ごろ 早めの 夕食
場所は「サボイホテル」と ある
ネットで 調べてみる
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Savoy Hotelは屋外スイミングプール、庭園、サンテラスを併設しています。館内全域で無料Wi-Fiを利用できます。
すべての客室は光沢のあるウッドフロアやミャンマーのアンティーク家具を用いたコロニアルスタイルの内装で、大きな窓、エアコン、シーティングエリア、衛星テレビ、バスルーム(バスタブ、シャワー付)が備わっています。
Kipling'sレストランではシュエダゴン・パゴダの景色を眺めながら、アジア料理と洋食を楽しめます。
Bistro at Dhammazediではフランス料理を、Captain'sバーではカクテルを、カフェYangonでは自家製のケーキを提供しています。
Savoy Hotelはヤンゴン市内から車で10分、ヤンゴン国際空港から車で20分です。敷地内に無料駐車場があります。
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どうも ヤンゴンでは 一流ホテルの ようだ